神に相当する存在は本当にあれば、分かった方が良いと誰でも思うのではないか。ちょっと失礼だが、病気と例えよう。病気は人類誕生から憑き物だったが、その原因は最初からわかったとは言えない。しかし、分かる価値があることは明らかだったので、医学者が数百年の検討を積み重ねて調べてきた。その結果、最初の仮説と完全に違う状態になっているが、分かる病気はもう過半数になっている。そして、その理解に基づいて過去に奇跡として見なされただろう効果のある治療法も開発してきた。最初の理論は覆されて、夢にも見えなかったことになったが、そのために最初の仮説は必要不可欠だった。それはなかったら、第一歩さえ踏めなかった。 同じように、神の存在を検討するために、出発点の仮説は必要である。出発点にすぎないので、その仮説に執着してはいけない。研究が進むと潔く捨てる必要も生じることはほぼ確実である。...
神の有無
神社の祭祀の主役は神の為の祭りであれば、神の存在を前提としているのは明らかだろう。存在していない神の為に祭りを執り行う意味はないと言わざるを得ない。 確かにその通りである。最初に、神の存在を前提として論じると断っておいた。しかし、これでただの小説の為の架空な祭祀の話をするつもりはない。家庭祭祀と違って、私は実現できる環境に置かれていないが、実現される為の枠組みを提供するつもりだ。だから、神の存在についてはっきり考えた方が良いのではないかと思われるだろう。 ただ、これが難しい問題になる。...
祭りの種類
神社は、誰でも拝める神の祭りのための専用施設であると定義した。そのような施設の中の作法や儀式について論じる前に、祭りについて考えておきたいと思う。 祭りは多種多様である。神職が一人で行う毎日の祭りから伊勢の神宮の式年遷宮まで、規模も内容も千差万別だ。それでも、基本的に二つに分けられると思ってきた。 神の為の祭りと参拝者のための祭りがあると思う。 一般に思い浮かぶ祭りの中で、参拝者のための祭りは圧倒的に多い。七五三等の人生儀礼は参拝者のためで、疫病を防ぐ祗園祭も参拝者のためである。祈年祭と新嘗祭も同じである。祈年祭が豊穣を願うし、新嘗祭はその稔った豊穣を感謝する。しかし、例えば遷座祭は神の為である。遷座祭は、ただ神を新しい神殿に遷ってもらうための祭祀であるので、参拝者の事情と関係しない。...
神社の本質
神社の祭祀を考える前に、神社の本質等を考えなければならない。神社と神棚の違いは何だろう。神社本庁によると、神社は「土の上、空の下」であると言われると聞いたことがあるが、それはただ他の建物の中に存在できない。(そのため、神社本庁の神殿は神社ではないし、「神社」と呼ぶことも一回も見たことはない。)しかし、それは表面的な特徴であると感じるのではないだろうか。より根本的な特徴を考えた方が良い。...
縦の絆
縦の絆というのは、家庭の祖先と子孫との絆である。家庭は血縁の家族であれば、祖先も子孫も共有するが、そうとは限らない。核家族でも、父の祖先と母の祖先が違うし、息子の子孫と娘の子孫も違うはずだ。大家族の場合、子孫が分かれることは多かろう。そして、家庭は血縁や婚姻関係ではない場合、個人個人で完全に異なる可能性もあろう。そのため、もう少し抽象的に考えてから、具体化したいと思う。 祖先は過去であるが、子孫は未来だ。この事実を踏まえて、根本的な違いがある。それは、現在の行動は過去へ影響を及ぼさないが、未来に影響を大いに与えることだ。どこかで「より良い過去の希望を諦めなさい」との言葉を見たことがあるが、正しくその通りだ。一方、未来を良い方向へ導くことはできるのではないか。少なくともそれを目指す。...
新年の奉斎
元日に起きてから、食べる前に神棚にお札を奉斎する。まず、手水などをして、正装に着替える。(大晦日と同じように、和装が良かろう。)そして、家庭と神棚の御祓を行う。 それから、お札を奉斎する。お札を年末までに入手して、綺麗な場所に奉安するが、拝まない。家庭の代表者が宮型にお札を入れたら、新年の祝詞を奏上する。 この祝詞で新年の計画と方針を明言する。特に、反省の結果で目標を変えることとしたら、その変更を明らかにする。場合によって、奉斎するお札も変わっただろう。そうなら、去る年の最後の神棚祭祀で感謝を込めて神様を神送りするが、新年で新しく奉斎する神様を歓迎する。...
歳神様
歳神様は、賓の神様である。つまり、遥か彼方から寄っていらしゃって、暫くの間の祝いを見守りながら祝福を与えてから、また常世に帰る神様である。お正月の祭祀で、楽しむ期間を司る神である。 歳神様を迎えるために、歳神棚が必要となる。これは普通の神棚と違う場所に設けるべきであるが、専用の棚ではなくても良い。箪笥などの上綺麗にして、布や和紙を敷いて臨時歳神棚を用意しても良いのである。賓{まれびと}の神様だからこそ、常設の奉斎する場所は要らない。 この歳神棚には、歳神様の依代になる神籬は必要である。そもそも、門松がこの役割を担ったと言われるので、松を使った門松のような飾りで良かろう。常緑樹が使われるのは相応しい。そして、榊を両側に立てて、狛犬のように新年の干支の動物の置物を守るように置けば良かろう。 神籬の前に、鏡餅をおく。鏡餅はそもそも歳神様への御饌だったそうであるから、ここでも欠かさない。...
一年間の感謝祭
大晦日の大祓の儀式が終わるのは、暗くなってからの夕方を想定する。これで、家庭全員が物理的にも精神的にも清々しくなっているので、これからお祝いが本格的に始まる。 先ず、晴れ着に着替える。(便宜のため、お湯上りと共に着ても構わない。) そして、家庭の神棚の前で一年の感謝祭を執り行う。これで、一年間で上手くいったことの感謝を祝詞で奉る。この感謝祭の御饌は、家庭のための楽しみにできるご馳走とするのは良い。但し、それは事前に用意して、大祓が終わったらつぐことができるご馳走でなければならない。家庭全員が儀式に参加するので、誰も料理することはできない。だから、大掃除の傍らで用意するしかない。ご馳走の内容を工夫する必要があるが、これは家庭が好む料理でなければ意味はないので、ここで具体的に何とも言えない。...
大晦日の大祓
お正月の伝統の重要な一部は大祓である。それで半年の穢れを祓えて、居住を歳神様を迎えるために整える。大掃除もその大祓の一部である。物理的に綺麗にする行動は御祓の重要な一部であるからだ。 年末で計画を見直す祭祀の中で、大祓は勿論失敗を認めて、新年に繰り返さないように決意する部分に当たる。 では、式次第を考えよう。...
計画の見直し
お正月の祭祀は歳神様を迎える儀式から始まったと言われるが、この歳神様は穀物の神であるという。来る年の豊穣を祈る意味とともに去る年の収穫の感謝を表す気持ちも入っている。農業離れの社会で、祭祀に意味を込ませるために、視野を広げなければならなかろう。 人生の計画を対象とするのは前述の提案であるが、まずその内容を考えたい。祭祀の形を考える前に、目的をはっきりしなければならないからである。...
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