カテゴリー人種の課題

村社会

日本社会の構成には、移民にとって問題になる要素がある。その要素は嫌悪は愚か、偏見にも、先入観にも基づいていない。構成的な問題である。 日本には村社会があると言われる。神道の文化で良く見える。多くの民社の宮司は踏襲であるし、氏子になるためにその神社の周辺に代々住んできた家の長である資格がある。 このような条件は最初から移民を排除する。 日本人であれば、自分の故郷があるので、ふるさと納税したり、祭のために帰省したりすることはできる。それで、共同体の絆を結ぶことはできる。しかし、移民には日本の古里はない。帰省する為に出国しなければならないが、そうしても日本の文化に参加させてもらうわけはない。外国に行ったからだ。...

外国人への態度

外国人を対象とする嫌悪は日本で少ないのだ。なくはないが、大きな問題になっていない。 しかし、外国人について様々な固定観念がある。 外国人は、日本語が全くできないか、あまりできないので、意思疎通は難しい。 外国人は、日本の礼儀作法が分からないので、共同体の中で問題を起こす。 外国人は、すぐに自分の国に戻るので、長期的な計画に取り入れない方が良い。 外国人は、日本の文化が分からないので、日本の文化が重要になる企画と関われない。 よくある例は、外国人はゴミ分別が出来ない固定観念である。実は、日本出身の日本人もゴミの分別を間違えることは少なくないが、近所の人がその問題に気づけば、外国人のせいにすることは多いようだ。...

離貌人への態度

日本では、離貌人に対して嫌悪を抱く人は極めて少ないと私は思う。 その根拠として、まず私の体験がある。勿論、どこに行っても友達とは言えないが、嫌われることは殆どないような気がする。躊躇する人の多くは、言語の壁を想像しているようだ。私が日本語で話しかけると、気持ち良く対応してくれる。 そして、私の経験だけではない。川崎市で外国人市民の実態調査を行った場合、日本人の友好的な態度を指摘する返答も多かった。 確かに、例外はある。しかし、目立つ例外は凡貌外国人(即ち、韓国人、朝鮮人、中国人)に対する嫌悪を表す。離貌人に対して嫌悪を表す出来事は非常に少ないし、個人的な中傷に留まるようである。 だからと言って全く問題はないというわけではない。偏見は大きな問題ではないと言っても、先入観は激しい。...

言い方の問題

日本に住む人の人種は必ず統一されているとは限らない。確かに圧倒的に多い人種があるが、例外もある。しかし、この事実について話すのは難しい。それは、人の反応が悪いからとか、恥ずかしいからとか、話題を挙げたら批判されるからなどではないのである。そのような「難しい」ではない。ただ単に、日本語には必要な単語は存在しないので、伝えたい意味を伝える文章を講じるのは困難である。 ここで、私がいい例になる。私は、一体何なんだろう? 外国人ではない。私は、日本国籍しか持っていないし、日本に住む歴は15年間だし、日本語で大学の論理学の講義も台本抜きにできる。...

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