7月 2018

職業の結び

職場でも結びがある。しかし、同僚は皆「友人」であるとは限らない。これも周知の通りなのではないか。もちろん、「同僚である」ことは、友人の結びの根拠になることもあるが、そうならなくても、同僚との結びがあるべきであると私は言いたいのである。 この結びの質は何だろう。一緒に働く人の特徴は、一緒にある計画を実現することである。職業の結びは、その共有する目的に基づく結びであると思う。相手は、目的に貢献できる限り結ぶことである。...

友人の結び

友人の結びの範囲は広いだろう。実は、分析して、複数の結びとして扱うべきなのではないかと思うほどである。それでも、特徴があると思うので、この投稿で論じたいと思う。 友人の結びはまず個人的である。ある特定の人との間の結びだ。その上、双方が結ばないといけない結びである。片思いの友人は有り得ない。(気持ちは有り得るが「友人」とは到底言えない。) そして、結びの根拠を指摘できる結びである。例えば、「一緒に飲み会に行けばとても楽しい」とか「いつも助け合い人である」とか「一緒に重要な経験をした」とか「共通の趣味を一緒にするのは楽しい」など多種多様。...

恋愛の結び

「縁結び」を祈る人の大半は、恋愛結びを願っているのだろう。人間にとって重要な結びであるし、行動を狂わせるほどの力も持っている。そのためだと思うが、歴史的にこの結びを蔑視したことは多い。しかし、私はそうすべきではないと思っている。恋愛の結びも重要な結びの一つで、高い価値のあることである。ただ、非常に強く感じることは多いので、充分注意しながら扱うべきだろう。 「恋愛」を言葉で定義するのは難しいが、読者のほとんどは体験から分かると思う。普段、色欲と深い関係を持つが、そればかりではない。恋に落ちたら(罠のように)相手との性的な関係を望むのは一般的だが、それ以上一緒に会話したり、一緒に経験したり、一緒に何もせずに時間を過ごしたりしたくなる。...

家庭の結び

一番大事な結びと言えば、家庭の結びなのではないかと思う。他の結びを同等やちょっと上だと論じられたら、すぐに退けられないかもしれないが、上の方の結びの一つであるのは疑えない。その上、社会の構造を考えれば、個人が基礎で、そして家庭、そして他の組織があるというべきなのではないだろうか。この結びをはっきりしないと、多くの問題が発生する。 家庭祭祀を論じた投稿で家庭を暫定的に定義したが、ここでまた定義を提唱する。家庭というのは、一緒に生活をする人で、一人一人で家庭の責任を全て力が許す限り担う。 ここで「家族」より「家庭」を使用する理由がある。「庭」は場所を表すが「族」は血縁を表すからである。(民族や氏族を考えよう。暴走族や農業族は比喩的な使い方だと思う。)家庭では、一緒に生活をすることはとても重要なのである。それは、家庭の結びの質から発する条件だ。...

結びの位置

神道で、結びは重要な概念である。神道の祭祀は元々個人のものではなく、団体のものであったと言われる。氏族の祭りは古かったし、村落が近所の自然を拝む祭祀も重要だったようである。この団体を形成させるのは、人の間の結びである。そのため、惟神の道で結びは重要であるのは間違いないが、どのような位置を占めるかについて、今回論じたいと思う。 産霊は基本的に個人の様子を表すが、結びは必ず二人以上のことになる。一人での結びはそもそもできないからである。結びを重視すれば、仏教のように出家を称讃することはできない。というより、仏教の基礎理念はこの世との縁を切って、悟りに進むことであると言われるが、結びを重視する惟神の道はその反対である。惟神の道を歩めば、この世と深く絡み合うのは理想である。...

修理修繕

地球の資源には限度がある。確かにその限度は人間の掘り出す力にもよるが、それでも限度がある。新しい資源を入手するために、環境へ悪影響を与えることは多い。だから、新しく使う資源の量を最低限まで抑えるのは当たり前なのではないか。日本の「勿体無い」精神とも関わる。資源の利用を抑えるために、不具合が発生した物を修理するのはいい方法である。修理には時間と技能は必要であるが、必要になる資源は壊れた部分に限るので、資源の利用を抑えることはできる。しかし、現代の商品の大半は修理できない。できる場合でも、新品で買うよりお金がかかる。そのため、一般人は修理しない。それで、ちょっとだけ壊れたものは捨てられ、資源の消費に拍車がかけられる。...

使い捨てプラスチックの廃止

使

毎週、プラゴミの日になると、大きなゴミ袋を出す。それは私たちだけではない。ゴミ出し場にはプラゴミが山積する。このプラスチックが本当に再利用されるかどうかは分からないが、正しく捨てられないプラスチックも多い。再利用ができるとしても、エネルギーはさらに必要となる。ただ捨てることになったら、長年に亘り環境に残る。海洋はもうプラスチックでいっぱいであると言われる。その意味は、どこに行っても海水にはとても小さくされたプラスチックの破片は検出されるし、量は予想より多い。魚や鯨などの動物にもプラスチックが見つかる。大きなプラゴミも良く見つかるし、陸上の環境も同じであると思われる。 この問題は社会レベルの問題である。個人としてプラスチックの消費を減らしたいと思っても、それほどできない。買い物をしたら、プラスチックに包装された商品は多いので、少なくともそれを避けることはできない。...

緑の通路

緑の通路は、地域規模の環境対策である。地球への影響はもちろんあるが、主な目的は地域の環境の改善である。そして、都会の環境にしか適していない。田舎であれば、必要なのは違う措置だからである。 緑の通路というのは、自然の帯状の地区が都会を横断して、両端に棲む動物が都会を渡ることができ、活動範囲を広げるための設備である。なぜこのようなことが必要になるかというと、動物には移動する必要があるからである。特に肉食動物は、狭い範囲で生息しようとしても、無理がある。動いて、様々なところで獲物を探さなければならない。しかし、都会や道路などが超えられない壁になる。その結果、合計で面積が十分足りる場合でも、狭い部分に割かれているので、一頭も生息できない場合が発生する。...

乗用車離れ

乗用車の排気ガスが気候変動を促進する。その上、含まれている汚染物が道路付近の空気を汚して、住民の健康へ悪影響を与える。さらに、交通事故で毎年数百人の子供が犠牲となる。車依存のため人が運動不足になって、健康が崩れる。そして、社会的に車が必要となると、運転できない人、つまり子供、高齢者、障害者、貧困者は大変不便な立場におかれてしまう。 長期的に見れば、私有車離れを促進するのは良いと思わざるを得ない。しかし、現代の社会には乗用車が深く織り込まれているので、外すために大変慎重に取り組まなければならない。そして、私は車を所有したことはないし、運転免許をイギリスで持ったとは言え、日本で持ったことはない。だから、個人的に車離れを完全させるのは極めて簡単である。何もしなくていいさ。だからこそ慎重に考えなければならない。他人を自分の生活に合わせようとしたら、真摯な検討は必須である。...

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