4月 2019

退位礼正殿の儀

退

先ほど、NHKの中継で退位礼正殿の儀を拝見させていただいた。厳かで簡素だったので、大変相応しいと思った。

特に感銘したのは最後でした。

天皇陛下がご退室なされる直前、一旦立ち止まられて、松の間に向かわれた。そして、参列者に対して一礼をなされた。大御心のご表現になられたと感じた。

その大御心を頂いて大道を歩むのは適切だと思わざるを得ない。

祭具

祭具

祭具は祭祀に使う道具で、供物を供えるためのお皿などが主役になる。これで、常若の観点から問題が発生する。一般のお皿は焼き物である。神宮では、特別な素焼きなお皿は作られているが、一回使用したら捨てるそうだ。神聖性に配慮することであるようだが、粘土は再生可能な資源ではない。消費は遅かったら、確かに長持ちするが、永続を考えれば、いつか無くなるのが決まっている。 その為、そのような祭具を避けた方が良いのである。そうすれば、また歴史的な前例がある。大嘗祭にまだ採用されているが、柏の葉で作られたお皿があった。そして、お水やお酒のために漆を利用する器は可能なのではないだろうか。竹を編んで箱を用意したり、木造の案を使ったりすれば、再生可能な材料になるので、持続可能な構成になる。祝詞を書く紙も再生可能な性質であるし、墨もその選択肢がある。...

斎場

斎場

祭主と供物と神様が揃ったら、一応祭祀を行うことができると思われるが、まだ欠けている重要なことがある。それは、斎場である。場所はないと、祭祀を行うことはできない。 斎場をただの広場にする選択肢もある。御神体を臨時的な神座や神籬として、その前に供物を備えることはできる。しかし、現在の神社の大半には社殿があるので、社殿がある場合から考えるべきである。 遷宮を勧めるのは予想の通りである。建物を立て直して、常若を確保するし、永続も確保する。しかし、これは大掛かりの事業である。特に、宮座の外の社会に頼らないとすれば、材料の確保も大工の確保も神社の責任になる。...

御霊代

供物を奉るために、神様が必要となる。と思われるが、元々そうではない場合があったようだ。例えば、宮中祭祀の新嘗祭では、神座はないと言われる。供物を神宮の方向に向けて遥拝の形で供えるそうだ。それでも、一般の神社の形式には御神体があるので、その方式を前提として考える。 永続の立場から考えれば、避けるべき形の御神体がある。それは、同じ物体が長年続けて御神体として存続することである。神宮の八咫の鏡はこの形であるが、他の神社で真似しない方が良い。 なぜかというと、長期的に考えれば、事件が起きるからである。何かの事故で御神体が損傷を受けたり、破壊されたり、失われたりする。火災とか震災とか盗難などの問題を予想できる。その時点で初めて御神体を新しく作ろうとすれば、伝統に大きな溝が現れるし、必要な技能は近所にはない恐れもある。...

供物

供物

祭主がいれば、次に必要となるのは供物だろう。供物なき祭祀はあり得ない。 一つの方法は、供物を神職の食事と同じものとする方針である。そうすれば、神職が食べている限り、供物が途絶えない。しかし、信仰の立場から考えれば、これはちょっと違うことは明らかであろう。勿論、神職の栄養を確保しないと祭祀が途絶えるが、それはちょっと離れる問題だとしよう。ここで、供物を狭義で捉えて、神職の食事と別な問題として考えたい。 神社以外の文明に頼らないこととすれば、供物を自給自足とするのは基本である。珍しいものとして外からの物を供えることも許しても構わないが、基本の供物を神社の周りで神社人の自力で整える必要がある。...

社家と宮座

神社で祭祀を行う最低限の必要な要素は祭員の存在である。専任ではなくても良いが、祭祀を行う人はいなければ、祭祀が行われない。現在の神社界の実情を見渡せば、これは一番の問題になっているのではないかと思われる。所謂後継者問題である。 では、そのような問題が発生しないように、どのような制度が良いのだろうか。神道の歴史と現状から言葉を借りて、社家と宮座を提案する。 社家はほぼ一般の利用通りである。ある家族が神社の祭祀を代々担うことである。社家の子供が幼い頃から祭祀に携わって、当然に神職になって祭祀を継続させることである。社家を掲げる理由は主に二つある。...

常若と常世

神社祭祀で「常若」という概念が見える。特に、伊勢の神宮の式年遷宮の説明でよく使われる表現である。その場合、意味は神宮の神殿などの建物等を20年毎に建て替えることで、神宮が永遠まで瑞々しく続く現象である。1300年以上の歴史を持つ神宮だが、一番古い建物は戦後に建てられただろう。同じ祭祀や行動を繰り返して、永遠まで続くという理念である。 これは、神社の祭祀で重要であると私は思う。神職や総代が死ぬが、その後継者が祭祀を続ける。社殿が老朽化するが、建て替えて神社を存続させる。変更の中で不変である。それは常若の概念であるし、常世の実現でもある。 確かに、もはや後継者問題が叫ばれて久しいが、ここでその問題を解決できるはずはない。過疎化と関連するし、社会構造の移ろいとも関わる。取り組むべき問題ではあるが、別な機会に託したいと思う。...

性的な作品と商売

美術的な作品には性的な要素が入っていることは少なくない。油絵で裸体の名画が多いが、それで性的な要素になっている。それ自体は問題にならないことはもう述べている。 しかし、商売になると、問題がある。それは性的な誘惑から発生する問題である。例えば、有名な美人女優がある映画でヌードシーンをすることが明らかになったら、そのヌードを見るために映画を見に行く人は少なくないだろう。建前を別な理由とすることは多いが、本音はそうなのではないか。写真集の基本もそうである。...

共存共栄

惟神の道では、共存共栄の概念は重要である。それは、「和」の一部でもあると言えよう。人間同士の共存共栄は重要であるのは言うまでもないが、その具体像を別な理念で描くので、この記事で余り触れるつもりはない。 寧ろ、人間と自然界の他の存在との共存共栄を強調したいのである。 神道には歴史的に自然崇拝の要素は強いと言われるが、熊野那智大社の滝を御神体とする神社を考えれば、否めるわけはない。そして、富士山の噴火を鎮めるために浅間神社を建立することもあったようだ。同じように、祈年祭は豊穣を願う祭りで、新嘗祭はその豊穣の感謝を奉る祭りである。...

神楽の位置

天宇受売神といえば、やはり神楽は重要である。だから、宇受女塾から神楽を削除してはいけないだろう。同じように、神楽で天宇受売神が裸になって踊ったことも見逃すわけにはいかない。これは、一体どのように考慮すべきなのだろうか。 まず言えるのは、天宇受売神の神楽は激しかったようであるので、運動になり得る。運動は人間に取って重要であるので、神事の要素を無視しても価値がある。そして、宇受女塾であれば、神事を盛り込むのは相応しいので、神事での神楽を一部とするのは良かろう。 では、裸になることはどうだろう。提案すれば抵抗感を感じる女性は多かろう。 だが、だからこそ提案したいと思う。...

最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報