8月 2018

麻薬、タバコ、お酒

惟神の道から見れば、有害な誘惑は具体的に何だろう。「ダメなことはダメ」とはよく言われるが、指針にはならない。具体的に言えない限り、道標として何も役に立たない。 有害な誘惑になるために、その行動自体が産霊や結びに損害を与える条件を満たさなければならない。誘惑になりそうな行動の中に、それは少ない。それでも、麻薬やタバコやお酒は明らかな例であろう。...

誘惑の対策

惟神の道で、どうやって誘惑と向き合うのか。誘惑の種類別で考えるべきだろう。 有害な誘惑は、産霊や結びを損なう行動であると位置付けよう。損なうというのは、積極的に損害を与えることを言う。消極的に損害を与える行動はこの範疇から除外する。つまり、単純に産霊の発展の妨げになる行動は有害とは言わない。そのために、有害と本格的に言える行動を完全に避けるべきである。産霊や結びを目指していれば、意図的に損なうわけにはいかない。...

誘惑とは

生活の方針として惟神の道を考えれば、誘惑を考えなければならない。誘惑は一般に「してはいけないことへの誘い」と考えられているのではないだろうか。しかし、私はちょっと違う観点から見たいのである。促された行動より、誘惑自体を考えた方が良いのではないかと私は思う。...

難民の受け入れ

難民は命を救うために自分の古里も国も捨てて逃げる。大変難しい問題になる。 先ず、難民本人は被害者である。更に被害をさせるのは残酷である。そして、何かを難民の負担とすることも非常に合理性が欠けている。悪いことをしたのは、難民ではない。しかし、罪を犯した人は、責任を負わないのは明らかである。だからこそ難民が難民になった。加害者の責任を声高に訴えても、難民の助けにはならない。 一方、難民を助けることには、費用や努力は山ほど必要となる。財産の殆どを失った人であるので、衣食住を提供しなければならない。医療も必要となる。特に精神的な被害は多いが、肉体的な被害を受けた人も少なくない。ものだけではなく、専門家も多数必要となる。罪を犯していない人には、この負担を背負う義務はあるのか。 それでも、誰も背負わないと、難民は苦しみながら死んでしまう。それも許せない結末である。...

革命を求める人

或る国を改善するのは、その国の住民であるべき。(余談だが、基本的に「国民」ではなく、「住民」である。国家がある地域を制圧するのに、住民のごく一部の人を国民として認める場合もあるからだ。これも難しい問題なので、ここで詳しく論じない。)だから、外から国を変えようとする人を拒否する権利がある。 それは、植民地などを敷く方法で変えようとする場合、単純な防衛になる。これは極端な例であるが、枠が見えてくるだろう。反帝国主義の風潮は今高まっているが、その基本は外国人が国の将来を左右するべきではない概念である。 しかし、侵略以外の例は難しい。難題になる源は簡単である。国に移住してきた人は、もう住民になっているので、国の改善に参加する権利を得たと言えるからである。...

お金を求める人

移民の考える場合、お金を求める人が真っ先に思い浮かぶだろう。そして、怪しむことも多いようである。しかし、そう考える必要はないと私は思う。 先ず、移住して働く人は、基本的に移住先の国の経済と社会に貢献する。移住するほど働きたい人は、気力は強いに違いない。特に、文化も言語も違う国へ移住する人には、強い意志や忍耐力はない限り、最初からできない。このような性格は、労働力と繋がるのは明らかである。この事実は、研究に裏付けられているようである。移住する人は、生まれた場所で働く人より一生懸命に働く傾向は明白であると言われる。優れなくても、労働力は国に貢献するし、移住先の国以前住んでいた人のためにもなる。...

言語と強制的な移民

自分の意志を問わずに移住させられた人の場合、言語は重要な問題となる。基本的に意志は軽視されたので、もう負担している。それに言語の取得の負担を加算するのは残酷であるとも言える。一方、移住の動機は何であってもある国の共通語ができない状態で問題が発生することは変わらないので、言語を放置するわけにはいかない。...

言語の条件

移民の問題を調べる場合、言語の壁がいつも浮上する。その国の言語はできない場合、情報収集が大変になるし、社会から除外される恐れがあるし、問題が起きたら解決と取り組むのも大変だし、母国からの移民と一緒に閉鎖的な共同体を作ってしまうこともある。だから、原則として移民に国の共通語を身につける義務を課すべきであると私は思う。本人のためにもなるし、社会のためにもなる。 自分の意志で移住する人は、自分の負担で学ぶべきである。自分のお金で学費を払って、自分の努力で勉強すべきである。これで行政の関与は二つある。...

文化を求める人

一番短い間に文化を求める移民は、観光客に当たるだろう。より長く滞在する例は留学生や国に滞在するために働く人である。(働くために滞在する人は違う。)先ず、期限をつけて移住する人を考えたいと思う。 原則として、国が歓迎すべき人であると私は思う。文化は確かに国の資源の一種であると言えるが、ほかの資源と違って、外国の人と分かち合っても、国の持つ量が減らない。寧ろ、新しい立場からこの文化資源を見てもらうことで、資源の量が増すことさえある。その上、国を好意的に思う人が増えれば、国際社会での立場が有利になる。文化的な影響力は全てではないが、軽視してはいけない。その上、意志の尊厳は国民に限るわけはないので、国を訪れたい外国人がいれば、原則として可能とすべきである。それでも、条件を考えても良いのだ。...

観光客

観光客は普通に移民として考えられていない。法律上、資格が根本的に違うことも否めない。日本の場合観光客は合法な滞在であるが、在留カードを持たない。所得税や年金料を納めなくてもいいし、国民健康保険にも入れない。しかし、日本に来る人の立場から考えれば、一週間で日本を見る人と6ヶ月で日本を勉強する人の間に根本的な違いはないだろう。どちらでも、有限な期間で日本の文化や環境を見たいのである。この観点から見たら、日本の移民政策には非常に積極的な側面がある。 観光客は、旅先の国の利益に貢献する。先ず、お金を国内で費やす。それは経済に良い。その上、旅先の国の特徴が見たいことは多いので、その特徴を維持するための資源にもなり得る。さらに、旅先で楽しい経験をしたら、友好な気持ちを持つようになるが、それも国際社会で利益になる。...

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