9月 2018

誘惑の制限

国家が他人に影響を与えない誘惑に対して、どう関与すべきだろう。自由主義者の間に、一切関与すべきではないという人は多いが、それに問題がある。まず、子供を守る必要がある。そして、大人になっても、本当の意志に従うかどうか疑う余裕がある。その場合、住民のために国家が関与しても良いのではないかと主張する人もいる。...

誘惑と国家

国家は、どうやって誘惑を扱うべきなのだろう。 意志の尊厳を単純に考えれば、何もしない方が良いと思ってしまうだろう。本人の意志に任せるべきなのではないか、と。本人は誘惑に負けたら、悪い結果が出るのは確かであるが、それは本人の裁量に委ねるべき範囲を超えないので何も関与すべきではないだろう。 この主張の核心は妥当である。国家は、誘惑を選ばせるべきである。確かに、本人の意志の表現の一つである。惟神の道で誘惑を論じた場合、誘惑の通りにするべきなこともあると述べたので、国家が法律で縛ると直ぐに意志の尊厳を侵す。...

倫理と誘惑

誘惑を考えれば、一般的に「倫理問題」と言われることを扱う。実は、欧米では、「倫理」は性的なことを指すことさえあった。「善良な女性」という表現は、ただ単に処女、又は夫以外な男性と性的な行為をしたことはない女性を指した。倫理は、誘惑に対抗するイメージは強い。 ある意味で、それは当然である。倫理の役割は、長期的に行動の指導を提供することである。方針としてどう行動すべきかは、倫理の基本的な課題である。そして、誘惑は、その場で長期的な方針を乱す感情である。だから、倫理で誘惑を乗り越える技を描写するのは良い。 ただ、二つの問題が発生したと私は感じざるを得ない。 一つは、倫理で誘惑を克服する必要性を繰り返して強調するが、具体的な手法を提供しない傾向は強い。極端な例は「ダメなことはダメ」という倫理的な強調である。確かに反例のダメではないダメなことを挙げることはできないが、助言として全く役に立たない。...

衣食住

衣食住は普段、誘惑として考えられていない。しかし、いずれもないと大変困るので、その意欲が強くなって、他の活動の邪魔になる。他の誘惑と重要な相違点は、衣食住は人間に必要であることにある。この三つはないと、生きることさえできないし、他の活動が無理になる。では、惟神の道でどう扱うべきだろう。 もちろん、入手して使用すべきである。そうしないと産霊が大きく損なわれる。 一方、自然に湧いてくる欲望が必要な程度を超えることは少なくない。食べすぎたり、服を持ちすぎたり、必要以上に広い家を買ったりすることは普通の問題になる。必要なレベルを超えたら、産霊には貢献しない。普段、結びにも貢献しないが、特定の関係があればそれは違う。例えば、服をデザインして販売する職人との関係の上でちょっと必要以上の服を買ったら、それは結びに貢献するので、良いことである。...

誘惑の商売

誘惑の例を考えれば、それを商売とすることは多いことに気づく。当然だろう。人間は自然に弱いことを商売とすれば、お金を儲けることは多い。実は、私はPatreonというサイトで、ある画家を支援している。この画家は、私が書くTRPGという趣味のための絵を描くが、素晴らしい絵を作り出す。(だから私がお金を出す。)同じサイトで、腕がそれほど上手くないが、性的な絵を描く画家も登場する。性的な絵は技能の絵より10倍ほどの報いをもらえるようだ。商売として、誘惑はとても有力な商法である。 では、惟神の道でどう考えれば良いのか。その設定は、自分の商売でどうすれば良いかとことである。 麻薬等の場合、商売とするべきではないのは明らかだろう。購入する人に損害を与えるし、産霊や結びに貢献しない。お酒やタバコはこれに含まれている。...

体認識

体認識は自分の体に対する認識や評価ということだが、課題として性の誘惑とちょっと離れると思われる。確かにその通りだが、つながりもあるし、裸の話とも関わるし、産霊の概念と深く関係するので、ここで論じたいと思う。 自分の体を意識するのは当然である。体は殆どの行動に必要であるからだ。では、どのような認識を持つべきであろう。 産霊を鑑みれば、体は産霊にも重要である。他の創造の手法としてだけではなく、自分の成長の重要の一部として考えるべきだろう。だから、体の現状を肯定的に考えるべきである。その上、体の向上も考えるべきだ。健康で丈夫な体自体は良いし、他の創造や成長に貢献するので、それを目指したら適切だろう。...

裸と性

裸と性の関係は明白ではない。必然的な関係はないのは明らかである。一人でお風呂に入ることは性的な行為ではないが、裸になるのは一般的だ。逆に、裸にならずに性的な行為を行うことはできる。(詳しい情報が欲しかったら、ネット検索でどうぞ。)それでも、無関係ではない。 色欲との関係から始めたいと思う。原則として、他人の露出された体を見ることは、色欲を彷彿させる。個人の好みは程度に強い影響を与えるが、基本的な効果があるようである。そして、その色欲から影響を受ける。相手を味方とすることは多いが、刺激は強すぎて反発を招くこともある。それで、特定の人の裸に慣れることはできる。慣れたら、その人の裸から影響をそれほど受けない。しかし、一般的に慣れることできない。現在社会では、男性にとって女性の裸を見る機会は(ネット上で)溢れる。(逆もそうである。)それでも、男性の興味がなくなる兆しは一切見られていない。...

性と美術

性と美術の家系は深い。芸能の場合は特にそうであるが、絵画も彫刻も小説も関係する。惟神の道で性を肯定的に見るし、美術や芸術のような創造を産霊の一部として高く評価するので、性の美術を評価するのは当然だ。それでも、色欲の強さがここにも問題を齎す。作成する側からも鑑賞する側からも考えなければならない。 性の要素は強い作品を作成すること自体は性的な行為である。産霊の表現であるため、良質な性的な行為でもあるので、原則としてやっても良いのだし、自分の色欲に沿わない場合、一人で作成すれば問題はない。例えば、異性愛の男性がBLの漫画を描けば、問題は見込めない。作品だけのために動くからである。ただし、自分の色欲と合わない性的な作品を作り出すのは困難だと言われる。なんか情熱が欠けると言われることは多い。...

良質な性的行為

色欲は非常に強いので、有害な行為と繋がることは多い。それをどうやって避けられるのだろうか。答えるために、まず良質な性的行為は何だろうと考えなければならない。 欧米では、最近「同意があると良質で、同意はないと悪質である」との単純な基準が流行っている。これは単純すぎると思わざるを得ない。確かに同意はないと悪質であるが、同意があっても良質であるとは限らない。この単純な枠組みに入れようとして、全ての良質ではない性的行為に同意はないように解釈しようとする傾向があるが、それで「同意」の意味がかなり歪められる。例えば、「はい、しよう」ということは同意ではない場合があると強調される。脅迫はない限り、それは認められない。「はい、しよう」は同意を表す表現に他ならない。一方、そう言っても性的行為が良質ではない場合を認める。同意は必要条件ではあるが、十分条件ではない。 惟神の道の観点から考えてみよう。...

性と未成年者

子供は同意できないので性的な行為はダメであるとよく言われる。結論には異議がないが、根拠は間違っていると思う。その間違いから重要な方針の間違いが生まれると思うので、正したい。...

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