体認識

体認識は自分の体に対する認識や評価ということだが、課題として性の誘惑とちょっと離れると思われる。確かにその通りだが、つながりもあるし、裸の話とも関わるし、産霊の概念と深く関係するので、ここで論じたいと思う。

自分の体を意識するのは当然である。体は殆どの行動に必要であるからだ。では、どのような認識を持つべきであろう。

産霊を鑑みれば、体は産霊にも重要である。他の創造の手法としてだけではなく、自分の成長の重要の一部として考えるべきだろう。だから、体の現状を肯定的に考えるべきである。その上、体の向上も考えるべきだ。健康で丈夫な体自体は良いし、他の創造や成長に貢献するので、それを目指したら適切だろう。

しかし、性の誘惑が問題をもたらす。それは、周りの人の意見を意識しすぎて、自分の体について劣等感を持つようになる問題だ。そして、社会的にある種の体が理想として掲げられていれば、その体に似ていない人が落ち込んで、自分の体認識が否定的になる。現代の日本で、女性の場合痩せたモデルは理想として掲げられているが、それほど痩せると健康を崩すのは一般的である。例外があるし、その例外がモデルになることは多いが、そのような体型を持つ人も否定的な認識に悩ませられる場合もある。例えば、北川景子を挙げよう。(個人的に、日本に上陸してからファンなので、ちょっと詳しい。)読者の殆どがわかると思うが、検索すれば写真はすぐに見える。とてもスリムだ。それでも本人によると、大食いであるそうだ。ブログで食べ物をよく披露するが確かに多く見える。つまり、自然にスリムな体型になる。が、10年ほど前に、胸の小さいことをブログで嘆いた。最近気にしなくなってきたようだが、自然にモデル体型になる美人も自分の体に対して不満になれば、別な体型の女性は尚更だろう。

社会が変わるといいが、その前に自分にとってどうすれば良いのだろう。

まずは、性の誘惑を無視しても構わないことに悟ると良い。人によって、好きな体型が大きく違う。自分の体型で健康で活発になると、魅力を感じる人は少なくない。それに、男性でも、体型の好みはなんであっても、決定的になる場合は少ない。つまり、体型は性的な活動にそれほど強い影響を与えない。

そして、周りの人の多様性を意識しながら、見比べない。皆は自分の体型があるし、自分自身もその一人である。一々比べても意味はない。

因みに、「裸と性」の投稿で紹介した社会体制がこれに貢献する。普段は体を露出しないので、見比べないことがより簡単になる。そして、団体で裸になる場合、体の多様性も見えるので、自分の体とモデルの体しか比べられない状態が改善される。

最後に、自分の体を健康で活発になるように努力すれば良い。身体障害を持っても、パラリンピックで見えるように、このような余裕は充分ある。もちろん、例外もあるが、少ないのだ。

これで、産霊の基本精神が見える。自分のことを肯定的に見て、いつも向上を目指す。現状は前より進んだので評価する場合もあるし、進歩の出発点になる状態であるから評価する場合もある。そして、さらに良くなるように動く。飛躍的ではなくても良い。コツコツと積んでも産霊が咲く。

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