1月 2019

基本概念

神の為の祭りがどのような形を取るのだろうか。今の時点で、神の質がよくわからないが、神道の伝統に基づいて考える。 鎌倉時代の御成敗式目では有名な第一条がある。 神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添う。 これで考えれば、神の為の祭りでは敬いを形とするのは相応しいと思える。勿論、祈願祭でも畏敬を表意するが、神の為の祭りでそれは中心となる。 では、神に畏敬を表す方法は、具体的に何だろう。 まず、穢れのない状態で祀ることは大前提である。斎主の潔斎と斎場の御祓はとても重要である。 そして、神饌の奉納も重要である。神宝の奉納も芸能の奉納も畏敬の表現となるので、検討すべきであろう。 その上、祝詞の中で神への尊敬を表現するのは良い。この具体的な内容は、後で考えたいと思う。...

出発点と道

神道を出発点とするために、どうすれば良いのか。まずは、神の存在を前提とする。それは出発点の仮説であるので、まだ証拠が足りないのは当然である。検討する前に証拠があるわけはないだろう。 それでも、出発点をはっきりさせなければならない。祭祀をなぜ執り行っているか、そしてどういう風に執り行っているかをはっきりする。その説明は、神の存在や質の仮説に明らかに基づいていると良い。なぜかというと、検討が進むと、仮説を当然修正する。仮説の行動との関係をはっきりわからないと、どういう風に修正すべきかは分からない。 つまり、祭祀を神の質に基づく。祭祀の行動の目的もその仮説の中で説明して予想する。結果を評価する方法も先に考えておく。そして、実現すれば、結果が出る。その結果に基づいて仮説を修正して、祭りも修正して、さらに進むのは適切である。...

祭祀の検討

神に相当する存在は本当にあれば、分かった方が良いと誰でも思うのではないか。ちょっと失礼だが、病気と例えよう。病気は人類誕生から憑き物だったが、その原因は最初からわかったとは言えない。しかし、分かる価値があることは明らかだったので、医学者が数百年の検討を積み重ねて調べてきた。その結果、最初の仮説と完全に違う状態になっているが、分かる病気はもう過半数になっている。そして、その理解に基づいて過去に奇跡として見なされただろう効果のある治療法も開発してきた。最初の理論は覆されて、夢にも見えなかったことになったが、そのために最初の仮説は必要不可欠だった。それはなかったら、第一歩さえ踏めなかった。 同じように、神の存在を検討するために、出発点の仮説は必要である。出発点にすぎないので、その仮説に執着してはいけない。研究が進むと潔く捨てる必要も生じることはほぼ確実である。...

神の有無

神社の祭祀の主役は神の為の祭りであれば、神の存在を前提としているのは明らかだろう。存在していない神の為に祭りを執り行う意味はないと言わざるを得ない。 確かにその通りである。最初に、神の存在を前提として論じると断っておいた。しかし、これでただの小説の為の架空な祭祀の話をするつもりはない。家庭祭祀と違って、私は実現できる環境に置かれていないが、実現される為の枠組みを提供するつもりだ。だから、神の存在についてはっきり考えた方が良いのではないかと思われるだろう。 ただ、これが難しい問題になる。...

祭りの種類

神社は、誰でも拝める神の祭りのための専用施設であると定義した。そのような施設の中の作法や儀式について論じる前に、祭りについて考えておきたいと思う。 祭りは多種多様である。神職が一人で行う毎日の祭りから伊勢の神宮の式年遷宮まで、規模も内容も千差万別だ。それでも、基本的に二つに分けられると思ってきた。 神の為の祭りと参拝者のための祭りがあると思う。 一般に思い浮かぶ祭りの中で、参拝者のための祭りは圧倒的に多い。七五三等の人生儀礼は参拝者のためで、疫病を防ぐ祗園祭も参拝者のためである。祈年祭と新嘗祭も同じである。祈年祭が豊穣を願うし、新嘗祭はその稔った豊穣を感謝する。しかし、例えば遷座祭は神の為である。遷座祭は、ただ神を新しい神殿に遷ってもらうための祭祀であるので、参拝者の事情と関係しない。...

神社の本質

神社の祭祀を考える前に、神社の本質等を考えなければならない。神社と神棚の違いは何だろう。神社本庁によると、神社は「土の上、空の下」であると言われると聞いたことがあるが、それはただ他の建物の中に存在できない。(そのため、神社本庁の神殿は神社ではないし、「神社」と呼ぶことも一回も見たことはない。)しかし、それは表面的な特徴であると感じるのではないだろうか。より根本的な特徴を考えた方が良い。...

幼児教育の義務化

今年の10月から幼児教育が無償化されることになった。この方針を高く評価する。なぜかと言うと、祖父母に保育を転嫁できない家庭の就職は事実上無理になったことは多かったからである。特に一人親世帯で保育の費用で仕事の収入が大半費やされるので、子供と時間を過ごすのは明らに名案だった場合は多かっただろう。それで、貧困からの脱出が事実上無理になり、子供の将来にも悪影響を与える。だから、無償化は大事な第一歩である。 しかし、第一歩に過ぎない。目指すべきのは、義務教育化である。まず、その理由を説明して、そしてそれまでの道のりをちょっと考えたいと思う。...

定期券

二酸化炭素排出量を減らす方策を炙り出すのは難しい。これで、国家出費が必要となる対策を提案する。 それは、すべての住民に、定期券を無償で提供することである。定期券は、最寄りの駅までのバスとその駅から指定の距離まで、または最寄りの中枢中核都市までの定期券とする。定期券の運賃は、国家が会社に支払う。条件の中の詳細のルートは、住民が選んで申請する。そして、理由あってもう少し距離が欲しければ、差額を支払えばその定金券を入手できることは重要である。住民の一部に不公平を感じさせてはいけない。...

契約社員の時限

契約社員が永遠まで更新される短期契約の不安定な雇用状態に陥らないように、法改正があった。その内容は、5年間以上契約社員として雇ったら、もう更新できなくて、さらに雇用しようとすれば、正社員としなければならない。 主に逆効果を生んだようだ。契約社員が同じ会社で5年間働けば、経営陣は正社員を増やしたくないので、解約して、別な人を雇うことになっている。だから、年ごとの更新の不安定に加えて、必ずと言っていい程5年ごとに新しい雇用先を探さなければならないことになっている。もちろん、ずっと短期契約であることには変わりはない。 これはやはり法律の失敗である。人の雇用を基準とすべきではなかった。寧ろ、役割を基準とすべきである。つまり、同じ役割を5年間果たしてもらったら、その役割を正社員に担ってもらわなければならないとの規定は適切だろう。...

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