幼児教育の義務化

今年の10月から幼児教育が無償化されることになった。この方針を高く評価する。なぜかと言うと、祖父母に保育を転嫁できない家庭の就職は事実上無理になったことは多かったからである。特に一人親世帯で保育の費用で仕事の収入が大半費やされるので、子供と時間を過ごすのは明らに名案だった場合は多かっただろう。それで、貧困からの脱出が事実上無理になり、子供の将来にも悪影響を与える。だから、無償化は大事な第一歩である。

しかし、第一歩に過ぎない。目指すべきのは、義務教育化である。まず、その理由を説明して、そしてそれまでの道のりをちょっと考えたいと思う。

幼児教育の義務化の理由は、基本的に他の義務教育の理由と同じである。子供の利益になるからだ。特に貧困な世帯の子供の利益になるはずである。もちろん、所得は少ないのに子供の養育に力を注いで子供の将来を確保する家庭は少なくないが、傾向として経済力が低ければ、子供の将来のための財産を蓄えることは難しいことも事実である。幼児教育の場になる幼稚園などで、すべての子供にある基準を満たす環境が提供される。その上、保育士に健康状態が見守られるし、給食で栄養不足が危機的にならないように保障できる。

幼児教育は勉強ではなく、遊びになるが、他の子供との集団生活に慣れて、家庭より広い世界に接して、小学校の基盤を敷く。それで、家族の経済力から発生する学業の達成の差が縮められるだろう。

社会的な利益は貧困の鎖を断ち切ることである。親の世代が低所得であるため、子が学校で上手くいかない。好成績ではないので、低所得の仕事にしか就けない。そのため、この世代も貧困に陥る。それは次の世代にも受け継がられる。この連鎖を断ち切るために、教育は必要不可欠である。だから義務教育は存在する。

個人の子供への影響は、無償化だけで期待できる。しかし、社会的な効果を見るために、義務化は不可欠だろう。なぜかというと、一番必要とする子供は、親が積極的に教育と取り組まない子供であるからだ。しかし、そのような親は、義務ではない限り、手続きをしない可能性は高い。親は積極的であれば、無償化で子供が幼児教育を受けるはずであるが、親は消極的であるために子に負担させるわけにはいかない。満遍なく子供を覆うために、義務化は必要である。

しかし、その前に供給と品質を確保しなければならない。10月から幼児教育が無償になるとしても、幼稚園や保育園に入れない子供がまだ存在すると思われる。幼稚園等が足りないからである。そして、急激に受け入れ人数を増やせば、品質が劣る恐れがある。それはしてはいけないことであるので、丁寧に供給を確保すべきである。

だから、無償化が始まったら、供給を増やすように努めるべきである。数年間がかかるが、今年から無償化が始まったら、積極的な政策がとられたら、6年以内実現できるのではないだろうか。社会的な実りを期待できる方針であると思うので、実現が見えたらと思う。

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