出生率

今、古代ローマの歴史書を読んでいる。(ビアード氏のSPQRだが、大変よくできているので私は英語で読んでいるが、和訳もお勧めしたい。ところで、リンクを使って買ったら、私はお金をもらう。)この中で、当時の出生率に触れる。その趣旨は、幼児期の死亡率を考えれば、人口を維持するために、女性の一人に9人程度の子供を産む必要があった。このことで、ローマ帝国は特別ではなかったようだ。古代社会の一般的な事実であるみたい。

自由に人生を組み立てられる女性の多くは、9人を産む計画を立てない。だから、仮に古代の社会が女性に自由を与えたら、数十年間で人口の激減で絶滅した。その代わりに、周りになった女性を抑圧した社会が領域等を奪って、女性の抑圧を続けた。つまり、近代の前の社会では、女性に平等や権利を与えることは、生物学的に無理だった。庶民の多くが栄養不全な状態に常にあったと同じように、決して良いことではないが、文字通り仕方がなかったと言えよう。短い間に限られて女性に自由を与えても、すぐに男尊女卑の社会が戻ってしまう。(ちなみに、これは歴史上の男女平等の社会は見つからない理由であると私は思う。)

現代はある程度違う。まずは、幼児期の死亡率の激減のおかげで、人口を維持するために一人の女性に平均的に2.1人を産んでも足りると言われる。子供が欲しくない女性も存在するが、4人が欲しい女性も存在するので、女性の自由を保っても2.1人の平均は現実的であろう。さらに、現在の世界の総人口や日本の人口が多すぎるようになったので、社会変動のための余裕をちょっと待っている。だから、人口減少はまだ好ましい間に、出生率を2.1にする方策を練るべきだ。

そうできなければ、女性の自由を尊敬する文化で育った人が子供を産まず、人口が減少する一途になる。一方、女性をまだ束縛する社会で人口が維持されるでけではなく、増加するので、必然的に広がる。それとともに女性弾圧も広がる。女性の自由に転換すれば、出生率が激減して、別な女性弾圧の社会に入れ替わられる。だから、長期的に女性の自由を保つ為に出生率を上げる方策を真剣に考えなければならない。

大前提は、女性の自由を保つことだ。移民で不足を補う方針もダメだ。それは、他国の女性弾圧に依存する方針より他ならない。だから、新しい打開策は必要だ。世界を見渡す限り、見つかった社会はまだ存在しないようだ。

残念ながら、万能な処方箋をあげることはできない。一方、意見がある。

まず、子育てに男女平等を導入する必要がある。原則として、出産は女性の役割だが、乳児からの子育ては男性でもできる。幼児になったら、女性特有な行動は全くなくなる。このような変更は、子育てに専念したい男性のためにもなるが、出産しても別な人生を構築できる環境でしか女性の自由を維持できない。

そして、仕事優先の社会情勢を改善しなければならない。仕事も必要だが、子育てを仕事より優先すべきである常識がないと、女性の自由と持続可能な出生率を両立するのは難しいだろう。子育てを最優先すべきとは言っていないが、仕事より優先すべきであると確信している。これは、子育ての平等より大きな改革を必要とする。会社には出勤を強制的に求める権利を認めてはいけないからだ。現在の社会は会社のご都合に沿って構成されているので、根本的な改善が求められる。ちなみに、これは成功例が見えない原因であると思ってもいいだろう。

最後に、将来に対して希望を与える必要がある。絶望的な環境に子供を産む人は少ないからだ。過去には、苦しみを一時的に逃げる為に性交して自然に子供を設けてしまう場合もあったが、現在は避妊方法があるので、そうならない。希望を与える為に環境問題を解決しなければならないだろう。

この問題の解決に失敗すれば、女性弾圧の世界に戻ってしまう。成功すれば、女性弾圧が世界中になくなると思われる。分岐点に立っている。良い方向に進めよう。

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