チャート 出意人

コロナの下の教育

新型コロナウイルス感染症の拡大のため、休校になった学校は多い。全国の全ての学校であるかもしれないが、例外も存在するかもしれない。 感染拡大を防ぐために必要だと思われる措置だが、問題があることも広く認められている。親の不便もあるが、子供の教育への悪影響の方が深刻な問題だと思う。子供の一部は親や塾等に誘われ、勉強を続けているので、その子供の発達には大きな支障が出ないだろう。一方、家族環境が違う子供にはそのような支援はない。例えば、親は医療従事者で塾費を賄えない場合、その子供は教育支援を受けられない。この状況が長引くと、教育の格差がさらに深刻になるのは明白だ。 問題は重大であるとは言っても、必ずしも解消できるとは限らない。この問題もそのような厄介な問題である。子供が集まると感染リスクが高まるが、集まらないと教育を提供できない。...

方針変更

昨日、政府が経済的な支援策の形を根本的に変えるように検討に入ったそうだ。従来、世帯主の収入が現象した世帯に¥30万を給付する方針だったが、公明党からの働きかけに応じて、一律に国民一人当たり¥10万を給付する方針に改める見通しとなった。 この詳細について最後にちょっと触れたいと思うのだが、主な課題は変更そのものである。昨日のニュース番組で、誰か「このような危機の中で、指導者がブレないのは重要である」と強調した。私は、到底賛成できない。むしろ、ブレない指導者は危険であると思うのだ。 これは、危機の本質から発生することです。...

テレワーク

最近、新型コロナウィルス感染症対策として、テレワークが強力で推進されている。事務仕事はもちろん、教育の授業等もテレワークで行われるように様々な業態が一所懸命取り組んでいる。現状でこれは余儀無くされた苦労だが、将来的にいい影響を期待できると思う。 テレワークの導入には少なからぬ努力は必要である。仕事の形態を大きく変容して、同じ職場ならば当然起こることを意図的に仕事の流れに組み入れなければならないし、初期段階で予想外のトラブルが何回も発生する。だから、普段の状況下、大規模なテレワークの導入の魅力を認めたとしても、導入自体が先送られがちだ。当然なことで、特に批判するつもりはない。ただし、流行病の下で、いかに問題が発生しても乗り越えるしかない。...

緊急事態宣言

今日、緊急事態宣言が出される見通しになっている。私は妥当だと思うのはいうまでもないだろう。「不要」か「早すぎる」と思う人は皆無に等しいようだ。「遅すぎる」と批判する声は聞こえるが、その意見が分からないわけはない。 しかし、私はそう思わないとも言える。強いては言えば、金曜日に出した方が良かったのではないかと思うぐらいだ。大まかに見れば、適時に出されると思う。 なぜかというと、拘束力はないからである。緊急事態で強制できることは、医療関係の商品の購入と配布、または医療施設を設けるために私有不動産の利用だそうだ。外出を制限することはできない。バー等の店舗の休業も強制的にさせられない。つまり、感染拡大を防ぐために、住民の自主的な協力は欠かせない。...

疫病と政治家

今のところ、COVID-19と言われる新型コロナウィルスが世界中に流行している。様々な隔離政策やイベントの延期または中止が各国で見えるし、トイレットペーパー等の買い溜めなどのパニックの現象も見られる。この中で、私にとって患者に次いで政治家が可哀想に見える。 なぜかというと、情報が足りない状況の下、極めて重大な判断が迫るからである。例えば、横浜港に停泊したクルーズ船の乗客乗員を船から下船させるか、船内に留めるかという判断は、数週間前に必要となった。その時点で、COVID-19の質は分かっていなかった。中国でも、情報収集と分析が始まったばかりだった。だから、下船の結果は予想できなかったし、船の上の感染状況も予想できなかった。それでも、判断しなければならななかった。...

皇位継承

ちょっと前の『神社新報』に皇位継承についての記事が載った。『神社新報』であるので、この記事が男系天皇の必要性を強く推したことは驚くほどではなかろう。私もこの立場に同感できないわけではない。皇位継承の伝統は確かに男系である。その上、踏襲される皇位を維持する理由は伝統ではないと、根拠は全くないだろう。 しかし、現在の後継者問題が深刻になった状況下、この伝統を維持するために戦略を変える必要があるのではないかと感じる。...

結果の意味

仮にその結果が出るとしても、それで神様が存在すると言い切れるだろう。 勿論、そうではない。まず、この結果の説明は神様ではない可能性がある。実験の設定等を詳しく調べないと、その可能性に十分配慮しなければならない。そして、本当の確率は5割でも、この結果が偶然に発生する確率は20分の1である。高くないが、極めて低いとは言えない。「この飛行機が墜落する確率はただ20分の1だ」と言われたら、乗るはずはないだろう。 ベイズの定理を使って、確率を考えることはできる。...

回数の設定

適切な回数を考えるために、まず予想の確率を考えなければならない。これは非常に難しい。 勿論、神様が存在しない場合、予想する確率は5割だから、5割と区別できるような回数は必要である。しかし、神が存在する場合の確率を予想するのは容易ではない。 まず、神様には米が欲しい場合も飯が欲しい場合もあるだろう。そして、御神籤を完璧に操れない可能性もある。説得力のある確率を出すことはできないだろう。ただし、5割から著しく異ならないことは言える。なぜかというと、人が著しい差異に気づくからである。著しい差異があったら、既に報告されたはずである。だから、5割に近い水準を選ぶべきである。 計算できるために、6割にする。結果として、これはかなり大きな差を生み出すが、直ぐに気づくほどではない。...

供物の提供

神棚の祭祀の一部として供物を奉るのは重要である。そして、その供物の内容には多様性があるのは伝統である。お米が重要になるが、お米、ご飯、お餅等の形式があるし、季節の物の献饌もある。だから、供物の内容を変えても、伝統を鑑みれば、少なくとも神に失礼ではないと確信できる。そして、自分の気持ちに基づいて変えることはできると言われるので、実験の一部として変えても、それが問題にならない。 結果の分析を簡単にするために、二者択一の形にすべきだろう。今の段階で、神の影響の存否を問うので、簡素な実験形式は一番相応しい。そして、神饌の歴史を振り返れば、候補が直ぐに現れる。明治維新まで、所謂熟饌を奉ることは多かった。それは、ご飯や焼き魚を供えることだった。つまり、人間が食べらる状態で提供した。しかし、明治政府の祭祀改革以来、生で提供することが一般になった。...

個人の検討

神棚の祭祀には、神の存否が重要な要素になる。より厳密に言えば、神が神棚に存在するかどうかが重要である。神が存在しないと、拝礼がただ精神的な行為になる。そのような行動に大きな成果がある場合も少なくないので、それで軽視すべきではないが、本質が大きく変わることは間違いない。 実は、神社本庁等の神道を代表する組織の見解も曖昧である。神棚に奉斎するお札には神様が鎮座するかどうかは、持論が分かれるそうだ。そして、お札に神霊はないと主張する人の中で、遥拝の施設になると主張する人がいる。確かに、神棚に鎮座するか、遥拝するかは重要な違いであるが、神の存否の立場から変わらない。少なくとも、今の段階で区別することはできない。そして、お札はただの象徴で、特に霊力はないと主張する人もいる。神社界の中でそのような人は少数派であるような気がするが、確かに存在する。...

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