日本の少子化は叫ばれて久しい。この問題は何も日本に限られている危機ではないが、日本は多くの国より進んでいる。令和6年生まれの子供は69万人弱だったそうだ。100年の人生の時代に本当に入ったら、少子化がこの段階でストップしても、100年で日本の人口がほぼ半減する。1億2千万人から7千万人に減るからだ。しかし、自然に考えれば、子供の数が減り続けるのではないかと思うしかない。なぜなら、2000年に生まれたのは120万人程度だったからだ。この人は今の親になる世代と言えよう。25年後、親になる世代は今年生まれの69万人に代表される。つまり、今と比べたら親になる人数は現代の半分ぐらいになる見込みだから、簡単に考えれば、赤子の人数も半減するだろう。多めに見れば、40万人程度まで減るのではないか。簡単な計算で2150年には、日本の人口は4千万人で現代の三分の一になるが、同じような論理が続く。...
財政
先週の参議院選挙で消費税減税や廃止などが取り上げられていた。他の増税は不要で、ただ国債で賄うことでいいと主張した政党もいた。その甘い話は理に敵わないと何となく思う人は少なくないだろう。そう簡単にできるはずはない、と。 私もそう思うが、赤字はダメだという単純な話ではない。 まずは、「お金」は国家の財政とそもそも関係しない。それは、国家はお金を作ることはできるからだ。同じように、「法律」は国家を長く縛らない。法律を変えることはできるからだ。一般住民は、法律に従わないと大変なことになるが、国家は法律を変えて、予定通り進むことができる。同じように、一般住民のお金がなくなると、大変だが、国のお金がなくなると、さらにお金を作ることはもできる。...
幸福の求め
哲学者の間によく知られている倫理観の基盤は、人間の尊厳以外、大多数の人の大いなる幸福を確保する理念である。この二つが根本的に違う。尊厳は、人間を一人ひとりで考えて、個人を重視する。幸福の追求は、多数の人間を合わせて合計の幸福を重視する。哲学者によって調整されるのは当然だが、大別したら上記の通りだ。 人間の尊厳を基盤とすれば、すぐに制御しない理念を見出せる。幸福追求はそれほど簡単ではないが、19世紀のミルからそう論じてきたので、ゼロから作り上げる必要はない。 基本になるのは、幸福の複雑性である。幸福になるのは、ただ食べて、寝て、楽しむことは不十分だ。達成感も自主感も必要である。これは、心理学の研究で検証されている。そして、幸福の取得を援助することはできるものの、強引に押し付けることはできない。...
人間の尊厳
倫理の基本は、他人を制御しないことだ。 しかし、倫理の基盤は複数ある。これからの数投稿で、その基盤からそれぞれの論証を行う。まずは、人間の尊厳の基盤から考えよう。 この論証は難しくない。 人間の尊厳を尊重するために、全ての人間が同じような尊厳を持つと考えなければならない。しかし、そう考えたら、自分の倫理観を押し付けることはできない。人は誤っているかもしれない。それでも、人間としての格式は同じだ。人は誤っても、正しい考え方を押し付ける資格は自分にはない。人間として、二人とも同格だから、双方にも押し付ける権利はない。説得するように努力しても良い。第三者が制御されないように関与しても良い。しかし、誤った本人に正しい考え方を押し付けるのは別だ。...
倫理観の多様性
違う倫理観を許すべきだろうか。本格的な多様性を目指したら、そうしなければならない。それでも、容易にできることではないと思う。 ここで、自分の倫理観が正しいことを前提とする。この「自分」は読者を指す。もちろん、読者の倫理観の内容は筆者に分からないが、それは問題ではない。かなり抽象的な話になるからだ。 倫理観で、行為を三つの範疇に分ける。(これは簡潔な説明だが、役にたつと思う。)それは「義務」(しなければならない)「任意」(してもしなくてもいい)「禁止」(してはいけない)だ。 違う倫理観であれば、この分け方に違いがあるはずだ。六つの可能性がある。 まずは、任意を義務と勘違いする倫理を考えよう。これを許すべきだろう。悪いことを勧めていないし、その倫理観に沿った行為を許すので、倫理観自体も許すべきだと言わざるを得ない。...
少子化対策
先日、令和6年の出生数は発表されました。記録上初めて70万人を下回りました。政府は、これは危機であると述べて、今歯止めをかけなければ遅すぎるとも嘆いている。 それでも、根本的な対策を取らないのは決まっているだろう。財務省が反対するし、大手企業も反対する。数十年先に国が崩壊することは、その反発より些細な問題だ。 根本的な問題は、効果的な対策は誰も知らないことだ。先進国なら、少子化が進む。日本は特に深刻であるが、特殊ではない。根本的な解消策には社会の構造改革が必要だろう。育児支援が充実なフィンランドでも問題は同じだから、微調整で済むわけはない。でも、効果のありそうな緩和策を考えることはできる。それで時間を稼いで、根本的な原因に対応する余裕を得られるだろう。...
日本国憲法第百四条
右翼がずっと「憲法改正、憲法改正」と叫ぶが、第九条ばかり。確かに「日本を囲む安全保障の環境が厳しさを増している」。だが、憲法改正なら、より重要なところがあると感じざるを得ない。それは第百四条。 首都圏の富裕層の年寄りに迷惑を掛けてはいけない 日本国憲法第百四条 この条文から発生した弊害は甚だしい。 財源を確保するために富裕層の所得税率を上げようとすれば、憲法違反。首都圏の富裕層の年寄りの納税額が増えるので、迷惑だ。 地方衰退に歯止めをかけるために機能を首都圏から移そうとすれば、憲法違反。首都圏の便利さがちょっと下がるので、富裕層の年寄りを含む首都圏の住民の迷惑。 環境問題に取り組めば、憲法違反。今挑むために生活様式を変える必要があるが、首都圏の富裕層の年寄りの迷惑になるし、問題が否めないほど深刻になる前に死ぬので、迷惑で憲法違反。...
身近な寛容
日本人の懐は深いと言われる。寛容して、違う人を認めると言う意味だ。「内と外」という概念もあるので、どれほど受け入れるかは疑わしい場合もあるが、事実もある。それでも、寛容というのは、単純な存在ではないのだ。 一つの要素は、他所者の慣習を許すことだ。例えば、宗教が違う人や家族構造が異なる民族を批判せずに認める。このような寛容は極めて重要である。なければ、残酷な戦争が発生して、憎みの連鎖が永遠まで続いてしまう。但し、ここで論じない。 もう一つの要素は、身近な人の行動に対する寛容である。...
法人の目的
多くの人はお金を求める。当然だが、お金を最終目的とすれば、人生が歪んで、結局崩れてしまう。有意義な人生を送るために別な目的に必要な財源を集めるために努力して、その財源が足りたら、本当の目的に集中するべきだ。ここで、この事実を前提とする。後日裏付けるために投稿するだろう。 法人も同じであると思う。まずは、法人は実際に個人の集まりだから、お金を求めるために結束する人が有意義な人生を送る可能性はほぼないだろう。そして、法人がお金を最優先すれば、お金のために従業員も顧客も環境も社会も犠牲とするので、法人や企業が結局悪質な存在になってしまう。 規制でこの傾向を抑えようとする国は多いが、一つひとつを禁じる方法で、法人の行動に追い付けない。抜け穴を見つけて、お金を集める。だから、より根本的な対策をとるべきだと思う。...
個人と共同体
個人と共同体との関係には二つの重要な誤りが蔓延ると思う。 一つ目は保守派の誤りだ。この誤りが先に発生するので、先に論じるべきだ。 他人に対して、特定の共同体の為に特定な態度や行動をとるべきだと強調する誤りだ。例えば、国の為に戦うべきだとか、国の為に子供を産むべきだなど。これは二重誤りだ。 まず、人が属する共同体は多数ある。家族から人類までの規模の幅があるし、家族や職場や趣味仲間や居住地や人種などなどの質の幅も持っている。その沢山の共同体の中で、どちらのために動くべきかと指定するのは、他人の役割ではない。...
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