チャート 出意人

法律と義務教育

法律の内容を知らなくても、従う義務がある。刑法は一番明らかな例だ。万引きは違法であることが分からなくても、万引きすれば起訴されることは多いだろう。殺人は尚更だ。しかし、民法や行政法も同じだ。正しく届けないと、過料が課されることがあるが、届ける必要がわからなかったことが法律に認められている言い訳にはならない。 確かに、詳細での誤りを見逃してもらうこともあるが、それは法律で定まった措置ではない。それは行政の裁量に委ねられるようだ。 しかし、法律の全てを把握すれば、弁護士になったり、税理士になったりする。一般の人が分かるはずはない。現実と明らかに反する前提を持つ法律を認めるべきか、疑問を持っている。官報での公表を十分な広報としてもいいのだろうか。...

美しくない国

「美しい国」を目指すのは保守派だけではない。多様性が溢れる美しい国は革新派の目標としても掲げられることがある。しかし、私は賛成できない。美しくない国を目指すべきだ。 誤解されると思うので、前置きに断るが、わざと美しいものを壊したりする意味ではない。そして、「美しくない」は重要な基準にもならない。ただ、事実上美しくない国を目指すべきだ。 美しい存在は、美意識に基づいて形成されたり評価されたりするものだ。ゼロから創造する場合もあるし、自然に美しくなった部分を保存して、醜くなった部分を排除する場合もあるが、根幹は同じだ。自分の生活で美しい環境を確保するのはいいことだと思うが、国家の方針として根本的に間違っていると言わざるを得ない。...

集団の法制

今までの投稿で、優れる利点がある集団を構成するための規制を掲げてきた。解雇や採用の制限もあるし、集団内の構成も制限されている。利点は多いが、もしかして能力に基づいて採用する集団とうまく競争できないだろう。実力が高い企業が有利になる傾向は強いのではないか。 だから、このような集団を可能としても、長く続かない可能性は高い。しかし、社会的な利益、特に平等への貢献は大きい。だから、法律でこのような集団の存続を確保したい。 集団の条件を見れば、果たせるのは大規模な集団のみだ。小規模であれば、休暇の職員の機能を補う余裕はないことは多いし、低能力の職員をフォローする人材もないだろう。小規模な集団をこのように集団にさせることはできない。 この事実を踏まえれば、提案が浮上するだろう。大規模な集団はこのような集団にならなければならない法律的な義務を課して、中小企業等に能力主義等を許す。...

平等性

集団社会の大きな利点は平等性である。名誉がある集団に属する人に名誉があるし、成功する集団に入った人にお金がある。そして、その名誉や収入が個人の能力に基づかない。そのため、自然に能力は高くない人も、社会に尊敬を得る地位に就くことができる。その上、本当に社会に役に立つ仕事をしていることも感じられる。集団の一員として動いているので、その集団の社会貢献に貢献している。 個人主義と能力主義の社会で大きな問題の一つは能力を持たない人が捨てられることだ。障害になる問題ではなく、平均をちょっと下回る人もそうだ。それは、総人口の半数近いので、社会問題として扱うべきだ。...

休暇の機会

人間の人生の中で、仕事を休むべき事態が自然に生じる。すぐに思い浮かぶのは病気だろうが、育児や介護もそうだ。家族の養育を仕事より優先する場合はある。しかし、休めば仕事を失う状態であれば、安心して休めないので休まずに両立しようとして、結局双方で失敗することは少なくないだろう。または、日本の伝統的な形で、男性が子供の養育を完全に手放して、女性は職場から離れることになってしまう。これはいずれも良くない結末だ。...

連帯感

集団社会を築こうとすれば、集団が重要になるのは当然だ。それが個人にとっていいことになる条件の一つは、集団の中の連帯感なのではないか。仲間と一緒に活動していると感じたら、心強いし、生き甲斐も感じるだろう。先に描写した集団の構造で、連帯感が発生するとも思える。 なぜかというと、同僚との競争は基本的にないからだ。職場恋愛紛争があるかもしれないが、仕事上、別な集団と競争するとしても、同僚と競争しない。待遇や収入は成績に基づかないからである。待遇等は単純に入団から経った時間に基づいて計算されるので、同僚との関係を変えることはできない。自分がさらに早く入団したように状況を変更することは絶対に無理だから、上下関係や収入の多少の関係は変わるはずはない。...

安定感

集団社会の最初の利点は、安定感を与えることなのではないかと私は思う。つまり、そのような集団に一旦入ったら、もう競争する必要がなくなる。将来に心配する必要もない。役割を著しく怠らない限り、定年退職まで働いて、ある程度余裕のある老後を過ごすことができる。 もちろん、会社の倒産や国家崩壊の可能性があるし、日本で大地震の恐れはいつもあるが、そのような社会規模な災害が発生しない限り、20歳で70歳までの人生が描ける。それ自体は嫌な人もいるが、そのような人が集団に入らなくても良い。 この安定感には二つの重要な要素があるだろう。 一つは、生活について心配しなくても良いことだ。その心配はなければ、自分の活動に集中して、ベストを尽くすこともある。それとも、仕事に必要な努力を注ぎながら、趣味等を楽しむことも考えられる。...

集団社会の構造

日本のような集団社会にはどのような利点、どのような魅力があるのか。西洋から日本を見たら、「アリのように個性を否定して集団のために自分を犠牲としながら働く」の罵ることがあった。個人を重視する文化から理解できないことを見て、強く批判してきた。私も、イギリスでの生まれ育ちなので、同じような反応を感じる。しかし、それはただの偏見である可能性もある。長年続いてきた社会構成には利点があるに違いない。欠点ばかりだったら、高度経済成長をもたらしたことはないし、すぐに崩壊するはずだろう。もちろん、欠点もあるのも当然だが、西洋からあまり見られない利点に焦点を当てたい。そうするため、まず考えている構造を具体的に描写しなければならない。実際の日本社会には多種多様な集団があったし現在もあるので、全てを簡単に考えることはできない。...

裸の脆弱

混浴の積極的な利益は、裸の脆弱と関連する。 裸で見られたら、恥ずかしくて、精神的な被害を受けることは多い。肉体的な被害とつながる場合もある。例えば、入浴中の地震から逃げ遅れて、下敷きになることもあるだろう。命を助けるために恥ずかしさに我慢するだろうと思われるかもしれないが、人間がその様に考えないと言われる。まず恥ずかしさに対応してから、身を守る。 しかし、裸で見られることで必然的に被害を受ける必要はない。物理的に問題はないのは明白である。見られるために、光が肌から反射する必要があるが、一人で入浴するときにも光が肌から反射する。精神的な被害も必然的ではない。生活環境の文化によって決まっている。...

混浴と日本文化

混浴の導入を裏付ける事実の一つは日本の歴史である。混浴は日本の文化である。それに、混浴を止めたのは、西洋人の批判に屈服したからだ。 幕末期の日本を訪れた西洋人の紀行文を読めば、混浴や公然の裸の習慣を驚いて指摘することは多い。キリスト教の宣教師が猛威的な批判を浴びさせることは多いが、より客観的な来日者が文化の違いを認めて、自分の驚きも認めてから、特に批判できるとは思わないとも述べる。 しかし、明治政府は主に西洋風を導入することに決定した。服装や髪型から帝国主義な方策まで幅広い分野で日本の文化を塗り替えようとした。(ところで、日本の所謂「保守派」がこの時期を理想として掲げることは不思議で堪らない。)...

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