麻薬、タバコ、お酒

惟神の道から見れば、有害な誘惑は具体的に何だろう。「ダメなことはダメ」とはよく言われるが、指針にはならない。具体的に言えない限り、道標として何も役に立たない。

有害な誘惑になるために、その行動自体が産霊や結びに損害を与える条件を満たさなければならない。誘惑になりそうな行動の中に、それは少ない。それでも、麻薬やタバコやお酒は明らかな例であろう。

まずは、このような化学物質が体や脳に損害を与える。喫煙が癌の原因となるのは周知の通りだし、お酒も同じである。お酒が行動を狂わせるのも常識だが、それは脳への損害の兆しである。他の麻薬も同じような影響があると思われるが、違法であるために証拠を集めるのは難しいので、損害の程度は正しく把握されていない。今の研究が検証する限り、マリファナはタバコよりマシで、お酒の危険性に遥かに至らないそうである。現行制度で違法であるかどうかは、麻薬の有害性とほぼ関係していないと言えよう。

このような化学物質には二つの問題がある。一つはこの損害そのものであるし、それだけであったら十分だった。

もう一つの依存性の築きである。「一度でも触れたら逃げられなくなる」と言われるが、それは事実より厳しいそうだ。人によって、その時の状況によって、使った麻薬やお酒の質によって異なる。しかし、使い続ければ、依存性が発生する可能性はかなり高いのである。ほぼ確実になる場合もあるようだ。(しかし、これも研究し難い分野なので、信憑性の高い成果はあまりない。)依存性が発生してしまったら、誘惑の強さが増す。人生を捨てても使いたくなる場合もある。全ての行動は、化学物質の入手するためになる場合もある。一方、一切摂取しないと、依存性どころか、意欲さえ生じない。その場合、このような化学物質が誘惑にならない。

体や脳に良い影響を与える物質であれば、このような危険性に晒されても特に問題はないかもしれない。依存自体は確かに良くないが、その良い影響が積み重ねて立派な人間にさせたら、それほど批判しなくても良いと思うのだろう。

しかし、お酒などは違う。最初から産霊を損なう。計画力を著しく低下させるし、内臓に損害を与える。確かに1回目の損害はそれほど重くないが、自分を害するためにさらなる危険性に自分をさらす行動は取るべきなのだろうか。そして、最初から触れないと誘惑を簡単に避けることはできる。

だから、このような物質を惟神の道で完全に避けるべきであると言えよう。薬としての働きがある場合は自然に除かれるが、それは例外的な場合である。

こう考えれば、惟神の道ではちょっと問題がある。お酒を避けるべきであるが、神饌にはお神酒が重要な位置をしめる。この矛盾とどう対応すべきなのだろう。まずは、神様に供える行動には問題ない。酒が、置かれたことだけで、損害をもたらさないし依存を発生させない。しかし、祭りの後でお神酒を直会の形で受けるのは問題になる。確かに、一滴しか飲まなかったら問題にならないだろうが、表現として良くないと言えよう。

まだ最終的な決断に至っていないが、もしかしてお酒を神様に供えて、人間が触れないこととした方が良いだろう。

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