カテゴリー祭祀

祭祀の想定

ここで、私の持論で神道の祭祀の想定について具体的に明記する。 「祭祀の想定」というのは、祭祀の形や行動が前提とする状況を指す。ただし、この状況は実際にそうであるかどうかは、別な問題とする。 想定は下記の通りとする。...

祭祀の独自機能

祭祀を勧める場合、注意点があるのだろう。 まずは、祭祀自体は悪いのか。それは祭祀毎に考えなければならない。抽象的に「祭祀」と言えば、良いか悪いかは答え難いが、例えば人間を生贄とする祭祀が悪いと簡単に言える。祭祀を考えれば、悪質にならないように配慮しなければならないが、これは具体論の問題である。 だが、一般論として言える問題がある。祭祀に費やす時間や財産や努力は、別な方法で費やしたら、より強い効果を得るという反論になるのではないか。つまり、祭祀の心理学的な効果は期待できるとしても、本当の目的のためにさらに効力的な行動があるので、祭祀に費やす時間や努力は無駄になっているということだ。より効力的な行動はあるのだろう。...

何故祭祀

何故祭祀を斎行するのか。 答えになり得る主張の一つは、神は本当に存在して、神社などに鎮座して、伝統的な祭祀に超自然的な力を持って応えてくれるということである。それは事実であれば、祭祀を執り行う理由は十分ある。しかし、神社神道で、こう強調することは非常に少ない。皆無ではないが、殆ど見られない。そして、私もこういう風に強調したくない。根拠が明らかに足りないからである。 では、何が理由になるだろう。ここで前置きしたいことがある。私はもう祭祀を推薦することにしている。だから、この理論で自分の前に決まった行動を正当化するように努めている。事実に至る為に最善な方法ではないが、仕方がない。それでも、このように考えても理由に思いつけなければ、自分の決意に疑問を抱くようになることは多い。仮に根本的に間違っているとすれば、このような理論は正への第一歩になる。私には、実際にそのような経験もある。...

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