ここで主張している非常事態宣言のあるべき形を裏付ける実例が先日発生した。アメリカのトランプ大統領が平成31年2月15日に非常事態を宣言した。そのきっかけは、大規模な自然災害やアメリカへの襲撃ではない。寧ろ、ただ単に国会が自分の政策を実行するための予算を供給してくれないからである。...
事後の行政責任
非常事態に対応するために住民の権利を侵すことは許される。その必要性を認めなければならないが、行政の事後で償う責任も認めざるを得ない。特定の人に大衆のための行動の負担を完全に転嫁することは許されない。 基本的な賠償は、行政の行動が適切だった場合にも認めるべきである。非常事態で事前交渉や不服申し立てをする余裕はなかったので、行政は潔く賠償を払うべきである。原則として、裁判も申請も待たずに払うべきなのではないか。行政側で、何をしたのは把握するので、すぐに賠償できる。もちろん、住民が不満を感じたら訴訟しても良いが、行政の行動から被った被害に対して、訴訟や申請の負担を課すべきではない。...
非常事態の下の人権
非常事態で人権が制限される。それは非常事態の意味である。普段、国民の権利を侵さないように様々な措置は導入されているが、非常事態ではそれは一時停止される。例えば、意見募集の義務などは、非常事態で停止される。救済する前に某日間の意見募集期間を設けることはできない。 しかし、全ての人権を停止するわけにはいかない。非常事態の目的は住民を守ることであるので、被害を与える状態を避けなくてはならない。 まず、表現の自由と言論の自由を制限すべきではない。行政の対応の批判を特に自由とすべきである。不適切な批判が発生するのは確実であるが、行政がそれを無視して働くことはできる。風評被害や不適切な情報に基づいた混乱は恐るべきであるが、基本人権を制限することは適切な対応策ではない。...
非常事態の宣言と権力
現在の憲法改正議論で、非常事態条項の問題も挙げられる。大規模災害などで、普通の権利を制限して、より効率的に救済できるようにするためである。これ自体には私も賛成する。非常事態が発生すれば、対応するために非常なことをしなければならないことは予想できる。ただし、その詳細は懸念になる。これで、憲法の役割を忘れてはいけない。憲法は、行政の権力を制限する。その制限を撤廃してはいけない。 第一の問題は非常事態宣言である。この宣言する権利を、一人に委ねるべきである。(もちろん、指定した人ができない場合、当然権利を受け継ぐ人も指定しなければならない。)なぜかというと、非常事態に対応するために、すぐに動かなければならない。監視などは事後に行使するのは適切だが、事前に要求することはできない。非常事態宣言の意味がなくなるからである。災害の質によって、閣僚を集めて閣議決定を確保することもできない場合もあろう。...
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