代表者会議の概念

川崎市では、平成8年以来「外国人市民代表者会議」が条例によって設置されている。その目的は、川崎市内住んでいる外国人市民の意見を市長や市の行政を届けることである。会議の任期は2年で、毎年度報告書を提出し、任期の最後の報告書に提言をする。この提言は、拘束力はないが、行政の動きに反映されている。私も、外国人であった時代に代表者になった経験を持っている。

この仕組みは参政権の立場から考えば、素晴らしいと私は思う。具体的な問題について審議したり論じたりしてから、問題の本質を指摘して、具体的な解決先を提案することはできるからである。外国人市民だから、投票することはできないが、代表者会議のお陰で、外国人市民の問題を行政が意識しながら行動するようになった。そして、些細な問題を完全に解決したこともあるし、深い問題と真剣に取り組んで改善した実績がある。完璧ではないのは当然だが、(特に入居差別問題は今尚深刻である)代表者会議があるのは、ないより大幅に良い。

これを考えれば、なぜ外国人市民に限るのかが問題となる。川崎市の市民の中は、問題や課題を共有する人は外国人市民以外いるに決まっている。そのような人のためにも代表者会議を設立すれば、市の行政がより民主的に動くと私は思う。

では、どのような人を代表者会議に反映したら良いのだろうか。まずは、行政区内に住まいすることを条件とするのはいうまでもないだろう。川崎市の代表者会議であれば、川崎市内在住の方で、高知県の代表者会議の場合、高知県に住まいする方。全国規模では、難しいだろう。県単位でも行政区はちょっと広いかと思うが、人口から考えれば、川崎市は高知県の2倍程度だから、いいのではないかと思える。

一方、行政区を代表するために、住居の地理的な頒布にも考慮すべきである。地域によって状況が違うだろう。それで、物理的に広い行政区であれば、会議に集まることが難しくなる。人口と広さの均衡を考えなければならない。私が経験する川崎市は面積から考えれば問題はないが、人口から考えれば、もしかして大きいと言えるだろう。

行政区の住民に限れば、会議毎にさらに条件を設けたほうが良い。重要なのは、市民の中から特定の問題を共有する人たちにすることであると思う。そうしないと、会議の中で何について審議するかは、なかなか決められないと思われる。外国人市民のように共有する問題は多い場合でも、審議するテーマを選ぶためにかなり時間がかかるので、最初からある側面が焦点になっていなければ、無理だろう。ただ「市民を代表する」と言ったら、多種多様の問題を抱える方が応募するので、会議で纏まらない。

その上、共通点は確認しやすいことは望ましい。外国人市民代表者会議の場合、日本国籍を持っていないことを確認すれば、資格があることは確実である。資格は曖昧であれば、資格についての争いが発生する恐れがあるが、それは本務の妨げとなる。

そして、会議毎の条件を決めたら、他の要素をなるべく多様とすべきである。川崎市外国人市民代表者会議の場合、それはまず国籍である。日本以外の国籍だが、アジアやアフリカや北南米やヨーロッパの国籍の人の多様性を確保するように努める。そして、性別と年齢、また住所の多様性を確保するように工夫する。外国人代表者会議の場合、自然に川崎生まれと他所生まれの人のバランスが取られるが、他のテーマの代表者会議で、その点に考慮すべきだろう。所得額の多様性を目指すのも良いだろう。行政区だから、住民税の申告が分かる。

会議は如何に有益であるとしても、無限に設けることはできない。会議の費用は膨大ではないが、確かにある。会議は多ければ多いほど、費用も拡大する。だから、枠組みに優先順位を決めなければならない。その場合、社会的に弱い立場に置かれている人に重点を置くすべきだろう。なぜなら、社会的に力を(経済力や権力など)持つ方は、自力で問題解決と取り組むこともできるし、既に行政への影響力を行使することもできる。弱者は、組織はないとそうできない。外国人市民は典型例になるだろう。参政権は持っていないので、外国人市民の利益は行政の考慮から漏れ落ちることは恐れられる。勿論、他の人も同じようなことがある。

これで、一般的な条件を論じたが、具体的にどのような枠組みが良かろうか。それは、次の随筆に取り上げる。

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