代表者会議は、どの役割を担うのだろう。
政治理念のところで詳説しているが、選挙は民主主義の基礎ではあるが、鈍い。強い不満を抱く政権を追い払う役割は果たすが、政策の詳細へ影響を与えない。政党に所属する候補者であれば、その政党の政策の全てがセットとなるし、無所属でも候補者には複数の政策があると決まっている。有権者がその一部を強く賛成するが、また一部に反対する場合、投票先を決めるのは難しいし、選んだ候補者が当選しても、賛成する政策を実現するとは限らない。
代表者会議は鋭い。ある問題をピンポイントで対策を細かく提案することはできるし、その提言は公表されるし、行政には配慮する義務が条例に定まる。代表される方の声が行政に届くし、望まれる具体策が実現される可能性は高い。選挙の弱点を補う措置である。
ただし、選挙の代わりにはならない。代表者会議には拘束力を与えるわけにはいかない。民主的な選挙で選ばれていないし、問題をある特定された立場から論じるのは役目であるので、議会で当選した議員によって審議されて、調整してから実施してもらわなければならない。もちろん、議員が代表者会議を無視する虞があるだろうが、それを選挙で正すことはできる。代表者会議の提言を無視することは、議員が住民の利益を考えていない証拠になるので、代表者会議の存在が選挙の役割を支える。
そして、代表者会議では、提言を提出する前に行政の役所と交渉することができる。行政のご都合に合わせるべきではないが、基本的に協力的な関係を築くことができるし、築くべきである。代表者会議は、ある意味で行政の一部であるので、行政と対抗することは少ないだろう。これで、社会問題に関心を持つが、行政と戦いたくない人の社会活動の機会を与える。これも重要である。
もちろん、抗議デモや署名活動などのより対抗的な活動を代行するわけではない。両方は必要である。私の経験から言えば、代表者会議は一歩ずつの改善に向いている。外国人市民問題の場合、多言語案内などの導入は、代表者会議の関与ですぐに実現してもらえる。一方、革命的な変更は、行政の外から圧力を与える活動家の方が効果的であろう。この双方はないと、改善には瑕疵が発生する。
より一般的に考えれば、行政へ影響を与える方法を複数確保すべきである。一つの完璧な方法はない。何にしても、漏れ落ちる人が存在するが、民主的な社会ではそのような状態は問題である。複数の方法を設けたら、お互いに補い合う。最終的に漏れ落ちる人はまだ存在するだろうが、その人数を抑えることはできる。完璧な状態には至れないとしても、いつも改善策を探るべきである。代表者会議はその一つである。
つまり、代表者会議が他の方法を不要としない。選挙はもちろん、抗議デモや署名運動、行政への働きかけなどは必要のままである。ただし、代表者会議も重要な役割を果たす。