代表者会議の中の審議から利益が期待できる。
まず、議会と違って、代表者会議の代表者は居住地以上の共通点を持つし、代表者は議員と違って代表者会議を仕事としない。議員は政界に飲み込まれ、現場と乖離する虞があるし、よく言われる。問題として不当に大きく取り上げられるのではないかと私は思うが、事実も裏にある。議員は、行政区の運営を全般的に見渡さなければならないので、そうするために時間を多く割かないといけない。その為、議員の日常生活が一般市民の日常生活と違って行く。一方、代表者は一般市民のままである。
その上、議員は行政区全般を見渡さなければならないので、分野毎に詳しく調べることはできない。人間には時間の制限がある。(毎日、24時間しかない。寝るべきでもある。)勿論、公務員や有識者からの情報を得るのも大事だが、当事者からのご意見も重要である。代表者は、自分に経験がある分野について、当事者として提言を掲げる。自分の生活ではないとなかなか気づかない問題は少なくないので、このような提言は貴重である。
そして、代表者会議は活動家組織とも違う。活動家組織は主に一つの課題を中心として組織する。例えば、保育所不足とか空港反対などの課題である。このような組織は重要な役割を担うが、組織の一員になるのは、組織の課題を重視する人に限る。社会の中には課題は山積するので、別な課題に関心を持つ人は最初から関わらない。その為、組織の中の活動家は、自分の課題を過剰評価する傾向がある。結果を出す為に、これは一概に悪いとは言えない。行政を動かす為にかなりの努力や労力は必要だから、目的の重要性を確信しないとやり遂げられない。それでも、社会の他の話題との均衡を見失うこともある。
一方、代表者会議の代表者は、それぞれ関心を持つ課題があるだろうが、代表者によって違う場合は多い。それで、当事者同士でその課題を話し合って、優先順位を決めなければならない。課題に特に関心を持たない人からの意見も聞くので、自然により広い視野に至る。場合によって、擁立しようとする解決策には同じ当事者にとって問題点があることに気づかせてもらうこともある。つまり、代表者会議の範疇の人を正確に代表する可能性は高い。最初に代表するように選ばれたし、最終的に掲げる提言は、話し合いと調査審議の挙句完成されたので、さらに代表的であると思える。
もう少し具体的に一つの過程を描写したいと思う。会議で、二つの課題が挙げられるとしよう。一つは、深くて重要な問題だが、近い将来の解決は期待できない。外国人市民にとって、年金制度はその顕著な例である。(定年以降日本に住むつもりはない外国人にとって、現行の年金制度は極めて不公平である。)もう一つは、それほど深い意味を持っていないが、解決してもらったら、生活が楽になるし、すぐに解決してもらえそうな問題である。外国人の場合、多言語案内がいい例になる。どちらを提言すべきであろう?簡単な答えはない。だから、代表者会議で代表者同士で審議して、適切な方を選ぶ。(川崎市外国人市民代表者会議の歴代の提言を見れば、両種があることが分かる。)「今、私たち当事者の生活改善のため、何が一番大事なのか」と審議する意味は大きいと思う。
また考えなければならないことは、参加する人の性格である。議員になるのは、政治家の生活に耐えられる性格を持っている人に限る。活動家になるのは、活発で対立が好きな人に限る。しかし、他の性格も存在するし、そのような人の意見も重要である。代表者会議は、対立を好まない人に特に向いている。ある程度積極的ではないとダメだが、活動家や政治家ほどではない。つまり、社会参加の道をより広く開くことは期待できる。
この観点からも、代表者会議は完璧な対策ではない。消極的な方のご意見も大事だが、代表者会議で組み上げられない。応募しないからである。外国人市民の場合、よく認識されている問題は、日本語には不自由はない外国人市民に限ることである。日本語が不自由な外国人市民の感覚を把握するのはとても大事であるが、なかなか難しい。それでも、代表者会議があると道が広くなるのは間違いない。さらに広げるように工夫を講じるべきだが、講じながら進むべきでもある。
それに、代表者会議の存在で、そのような人は無視されていると感じないだろう。代表者会議の提言の実現によって、生活がより良くなるはずだし、問題を感じたら行政に訴える為の方法は用意されている。行政区の主体の一員の感覚が強まるだろう。ある程度の効果を期待しても良いと私は思う。
最後に、一番重要なのは、提言を実現することで、生活の改善と意志の尊厳を向上できることである。しかし、私はどのような提言が掲げるかは勿論知らないので、この点について具体的に何も言えない。