憲法記念日が巡ってくると、『神社新報』には必ず憲法改正についての記事が載る。この日本では、「憲法改正」は「保守」派の課題であるようだが、文面上の矛盾があると思わざるを得ない。「もはや戦後ではない」というのは私が生まれる前の出来事だから、もはや戦前の復帰を目指すのは保守的より革命的であると言えよう。それはともかく、憲法改正はいつも一方的に謳えられるのはよくないと思うので、ここで真逆な改正を掲げたいと思う。
まず、第二十一条(表現の自由)に第3項を付け加えよう。
「参加者の同意があれば、性的な行為や表現を制限してはならない。」
これを明記する理由は、明記しなければ侵害されるからだ。今の憲法で表現の自由は保障されているが、性器を描写することは制限されている。そして、性的な行為のための集会を制限しようとすることも多い。性的少数派が制限されることは多いので、この憲法改正が社会的に脆弱な方の盾にもなる。
そして、第二十四条(結婚)を修正して、第3項を付け加えよう。
修正は、「両性」より「結ばれる全ての方」に変えて、そして「夫婦」を「婚者」に変える。これは、憲法が同性婚や多数婚を禁じないことを明記するためだ。法律で結婚の形を決めるべきだから、憲法改正で同性婚が合法になるわけではないが、その可能性を確保する。(自衛隊の憲法明記と同じ感覚だ。)三人以上の婚姻関係も可能とするが、それは本当に難しいので、好ましいと決めても法整備に時間がかかると思われる。しかし、全員の合意が必要となることは明記されている。
その上、第3項は次の趣旨になる。
「婚者とこの婚者の子供の別居は、無罪の方の同意なしに妨げてはいけない。なお、婚外の親子関係はこれに準ずる。」
つまり、家族の同居権を保障する。単身赴任を強制的に押し付けることは違憲になるし、親の片方を刑務所に収容することも違憲になる。配偶者と子供の同意を得られない限り。これは保守派が賛同するはずの家族を重視する条項だが、もしかして低所得者の家族をそれほど重視しないだろう。実は、子供への影響を考えるべきだと思うので、このような条項に違反する行動を考え直すべきであると確信している。憲法で守ったほうが良い。
最後の案として、第二十五条に第3項を加えよう。
「国は、全領域にわたって、自然環境と生物多様性の改善および持続可能な状況の確保に努めなければならない。」
これももちろん文言の調整は必要だが、環境問題を認めて、改善を国の義務とするのは必要不可欠である。憲法だから、具体的に指摘すべきではない。科学の進歩とともに理解が深まるので、憲法に不適切な行動を要求しないように気をつけなければならないが、理念を確定すべきだ。
このような改憲案を掲げたら、自民党がすぐに保憲派に回ると思われるが、それは当たり前で良いことだ。「改憲」は政治理念と関係なく考えるべきだ。憲法を現状に合わせるために改正するのは当然な行為だと思うべきだが、それは必ず第九条の改正を指すとは限らない。
「参加者の同意があれば、性的な行為や表現を制限してはならない。」このような細かい規定を設けだしたらキリがないと思います。果たして、諸外国の憲法にはこのような規定がありますでしょうか。1国もないかと思いますが。
同性婚は、私は違う意見を持っています。どうしても法的な枠組みが必要だと言うならば、次のような追記方式を提案したい。
1 婚姻は、「男女」の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 前項は、婚姻に準ずる同性のパートナーシップの制定を防がない。ただし、子に関わるいかなる法規は、子の福祉が常に優先されるものとする。
憲法は、国家や行政がよく不当に制限する活動を保護すべきだと私は思います。世界や歴史を見渡せば、性的な行為はその顕著な例ですので、憲法で保障すべきだと思います。宗教の自由と同じような傾向です。表現の自由のもとで、性的な表現、国家や地方自治体またはその機関の批判、そして宗教の批判は主な3種類です。ですから、キリがあると私は思います。
同性婚でも、「婚姻」の名も与えたいと思います。とはいえ、ご提案を妥協案として拒絶したくはありません。ちなみに、ご提案の但し書きは、2項から独立させて、異性婚にも当てはまることを明白にすべきなのではないでしょうか。