支え合い

支え合いの精神は、特に自然災害の後で見られることであろう。しかし、緊急時に限ることであるわけではない。共同体などの中で、一人の問題を皆で解決する意識であると言えよう。日本では確かに強い意識であるし、災害と水田の影響で発生したと言われる。災害に対応するために、一緒に取り組まないと何もできない。同じように水田は、村全体の作業である。

この精神を否定する人もいるようである。人間は、いつも人間同士で競争すると主張する人は少なくないだろう。確かに競争する心理も人間の要素の一つであるが、全てではない。他人を助けようとする心理も本当であるし、競争の心理に劣らないと思う。助けを求める人を助けない場合は多いと言われれば否めないが、人間の主な弱点はもしかして努力を避けたい精神で、めんどくさいだと思って、支え合いも競争も避けてしまうことがあるのではないか。だから、支え合いの実現を期待することは十分できる。

ただし、支え合いを錦の御旗として立てて、他人を自分の都合のために動かせようとする人もいるのだろう。それは、自己中心のことに限らず、自分の理念のために人を動かすこともある。地元の社会があるイメージになるべきだと思い込み、地元の人の「支え合い」を要求して、その理念の実現を目指すこともある。理念によって、これは一概に悪いとは言えないが、意志の尊厳とそぐわないだろう。相手を脅さずに納得させるのは意志を尊重する方法である。

個人のレベルで、支え合いを正しく実現するために、三つの規則を守るべきだろう。一つは、他人の支えを要求することを控え目にすること。なるべく圧力を与えずに計画や状況を知ってもらう。もう一つは、周りの人の状況を見て、必要に応じて手伝うこと。自分にその責任を認めて、その責任に従って動くのが良い。当たり前だろう。最後は、提供された支えを潔く受け入れること。プライドなどを理由に拒否すれば、大事な助け合い精神を損なう。そして、人を手伝うことは人間にとって気持ちいいことであるので、拒否するのは、相手のためではない。多くの場合、自分のプライドのために過ぎない。もちろん、例外はある。本当に手伝いは不要だし、難しい作業であるので手伝うために専門的な技術が必要になる場合は、拒否しても良かろう。それでも、原則は受け入れることとする。

このような精神が広がると、要求する必要はほぼなくなる。だが、それは理想の話で、実世界はそう楽園的にならないだろう。

行政の方針で、支え合いの可能性に配慮して、行政としての福祉も行うが、市民がお互いに支え合えるような制度を設けることも重要である。競争を重視し過ぎたら、協力を禁じることもある。そして、商業しか考えずに規則を設置すれば、支え合いの行動も規制してしまうこともある。少なくとも、制度が支障にならないように気をつけるべきだが、できれば制度が支え合いの促進になるように組み立てた方が良いと思う。

2 コメント

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  • 行政が主催するボランティア。
    その内容は多岐に渡る。
    例えば、子育てに不安がある場合はその分野の専門家を招聘し、幼稚園で実践するというのもいいだろう。
    肝要なのは需要と供給を合致させることで、行政のサイトなどで、自分の興味関心のある分野を選び、参加する。

    あとは単純にポイントを国民番号カードなどに付与し、お店で使えるようにするというのも一考に値するだろう。
    勿論、税金関係の支払いにも使えるようにする。

    ボランティアと云えば皇居勤労奉仕はその最たるもので、自発的に発足したものが連綿と続いているのだけれど、参加してみたら?

    • いつもコメントをありがとうございます。

      確かに、行政のボランティア支援の形式はたくさんありますね。少なくとも、需要と供給の合致に努めたり、実現を阻む壁を撤去するのはよろしいと思います。個人番号カードにポイントを付与するなどの方針も良いのではないかと私も思いますが、実現するために問題が発生する予感もあります。(とことで、合法の外国人住民も番号を持っていますので、「国民番号」ではありません。)後ほど、具体策の項目でこのような問題をさらに詳しく論じたいのですが、まだできていません。

      皇居勤労奉仕ですが、実施する団体との適切な関係は今まで持ったことはありませんでしたので、機会はまだです。

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