永続を目指せば、危機が必ず発生する。想定外の危機は、待てば必然的である。千年を待つ場合もあれば、5000年を待つ場合もある。5000年はおよそ文明初めて現れた以来の機関であるので、振り返ればどれほど世界が変わるかが分かる。予想できない将来に備えるために危機対策は必要である。危機の内容は事前に把握できないが、影響になるべく対応できるように工夫できる。
周りの文明に頼らない方針はもはやこの危機対策の一部である。外からの物資が届かなくなっても、祭祀を続けることはできる。予想できるのは自然災害や疫病、大恐慌や戦乱であるが、予想外の危機でも、物流の問題に対応できる。
物体を全て定期的に作り直す習慣で、破壊的な被害に対応できる。遷座の伝統で、斎場の場所に問題が発生したら、移動して祭祀の伝統を維持できる。これも、問題の原因を問わない。
これで、物理的な危機に対応できる基本構造が出来上がる。しかし、本質が違う危機にも配慮しなければならない。
先ず、今地方の神社が直面している人手不足である。開かれた宮座でこの問題をなるべく避ける態勢を整えるが、危機が発生することは避けられない。例えば、過去の最悪の流行病を見たら、村落で大半が死んだ場合もある。その場合、宮座が整っていたとしても、人手不足の危機に陥る。
重要なのは、一人でも伝統が途絶えずに維持できる状況である。そして、人がまた集まったら前の伝統を再現できる状況も重要だ。これを確保するために、完全に一人で執り行う祭りを年中行事に取り入れるべきだろう。そして、この祭祀を多くの人に取り行ってもらわなければならない。疫病を生き残るのは、宮司ではない可能性があるので、生存者は誰でも続けてもらえるため、危機が発生する前に行ってもらわなければならない。これで、参加している意識も育むと思われるので、宮座の共同体意識にも貢献するだろう。その上、祭祀の記録を用意するべきである。特に、秘儀があれば、それを再現するための記録を用意しなければならない。口伝であれば、永続できない。資料があっても、文字通りの永続は見込めないが、更に危機を乗り越えることはできる。その記録を本殿に納めても良い。
もう一つの危機の形は弾圧である。つまり、権力が祭祀を無くそうとする関与である。祭祀を隠れながら続ける形を事前に考えなければならない。これで建造物や祭具の全てが破壊されることを前提として、人が集まれるかどうかさえ分からない状態で、神聖な場所が立入禁止になることにも配慮しなければならない。そして、弾圧の下で伝統を維持して、弾圧が終わったら復活できるようにするのが良い。弾圧が70年以上続けば、公然の祭祀を覚える人が亡くなるかもしれないので、その覚えがなくても、再現できるように事前に工夫すべきである。
もちろん、如何に工夫しても乗り越えられない危機もある。例えば、大きな小惑星が地球を破滅したら、伝統が終わる。太陽が爆発する場合も同じである。そして、伝統が長く続けば、いつか偶然に条件が整ってしまい、伝統が途絶えることがある。完璧な対応は不可能であるが、死活問題になる危機の規模を大きくすることで、祭祀の将来への継承を可能な限り保証できる。