代表者会議は、どの役割を担うのだろう。 政治理念のところで詳説しているが、選挙は民主主義の基礎ではあるが、鈍い。強い不満を抱く政権を追い払う役割は果たすが、政策の詳細へ影響を与えない。政党に所属する候補者であれば、その政党の政策の全てがセットとなるし、無所属でも候補者には複数の政策があると決まっている。有権者がその一部を強く賛成するが、また一部に反対する場合、投票先を決めるのは難しいし、選んだ候補者が当選しても、賛成する政策を実現するとは限らない。 代表者会議は鋭い。ある問題をピンポイントで対策を細かく提案することはできるし、その提言は公表されるし、行政には配慮する義務が条例に定まる。代表される方の声が行政に届くし、望まれる具体策が実現される可能性は高い。選挙の弱点を補う措置である。...
代表者会議の運営
代表者会議の運営を考えれば、川崎市外国人市民代表者会議の20年間以上の経験を踏まえることはできるし、私は4年間の経験があるので、それを生かしたいと思う。 まずは、会議は自主的であることは第一である。せっかく当事者のご意見を組み上げようとしているので、当事者に気になる話題について審議してもらうべきである。行政などが重視する問題と当事者が重視する問題が遠く離れる場合は少なくないし、これ自体は問題の一つである。...
弱い立場に置かれている方
代表者会議を設ければ、どのような方を代表してもらったら良かろうか。まずは、外国人が良いのだ。他の政治への影響を与える方法はないが、日本人と等しく住民であるし、住民税を納めている。川崎市にはこの代表者会議は既に存在しているが、持っていない行政区は多い。もちろん、外国人市民、または外国人町民は非常に少ない行政区も存在すると思うので、その場合不要だろうが、「非常に少ない」というのは、100人未満だと思う。...
代表者会議の概念
川崎市では、平成8年以来「外国人市民代表者会議」が条例によって設置されている。その目的は、川崎市内住んでいる外国人市民の意見を市長や市の行政を届けることである。会議の任期は2年で、毎年度報告書を提出し、任期の最後の報告書に提言をする。この提言は、拘束力はないが、行政の動きに反映されている。私も、外国人であった時代に代表者になった経験を持っている。...
何故祭祀
何故祭祀を斎行するのか。 答えになり得る主張の一つは、神は本当に存在して、神社などに鎮座して、伝統的な祭祀に超自然的な力を持って応えてくれるということである。それは事実であれば、祭祀を執り行う理由は十分ある。しかし、神社神道で、こう強調することは非常に少ない。皆無ではないが、殆ど見られない。そして、私もこういう風に強調したくない。根拠が明らかに足りないからである。 では、何が理由になるだろう。ここで前置きしたいことがある。私はもう祭祀を推薦することにしている。だから、この理論で自分の前に決まった行動を正当化するように努めている。事実に至る為に最善な方法ではないが、仕方がない。それでも、このように考えても理由に思いつけなければ、自分の決意に疑問を抱くようになることは多い。仮に根本的に間違っているとすれば、このような理論は正への第一歩になる。私には、実際にそのような経験もある。...
惟神の道の行方
惟神の道とは、ここで神道的な生き方を指すために使う表現である。祭祀への参加はもちろん含まれているが、主に倫理的な概念を指している。つまり、どういう風に生きるべきかという質問を、神道の枠組みの中で答える計画である。 現代の神道では、この問題を取り扱うことは非常に少ない。「健全な育成」などの曖昧な表現が使われるが、具体的な内容を掲げることはあまり目に当たらない。場合によって、会津藩の白虎隊が「健全な育成」の例として挙げられ、「健全な育成」が無意味な自殺を招くかのように書かれるが、私はその方向に行かない。だから、神道の概念の中で、自分の倫理観を活かして、惟神の道を開きたいのだ。...
動機
この政治理念の随筆の中で、主に私に実現できない内容を語る。その上、この理念に基づいて政治活動を開始したとしても、実現できる見通しもないことは多い。ならば、なぜこれに時間を費やしているのか。...
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