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外国人への態度

外国人を対象とする嫌悪は日本で少ないのだ。なくはないが、大きな問題になっていない。 しかし、外国人について様々な固定観念がある。 外国人は、日本語が全くできないか、あまりできないので、意思疎通は難しい。 外国人は、日本の礼儀作法が分からないので、共同体の中で問題を起こす。 外国人は、すぐに自分の国に戻るので、長期的な計画に取り入れない方が良い。 外国人は、日本の文化が分からないので、日本の文化が重要になる企画と関われない。 よくある例は、外国人はゴミ分別が出来ない固定観念である。実は、日本出身の日本人もゴミの分別を間違えることは少なくないが、近所の人がその問題に気づけば、外国人のせいにすることは多いようだ。...

離貌人への態度

日本では、離貌人に対して嫌悪を抱く人は極めて少ないと私は思う。 その根拠として、まず私の体験がある。勿論、どこに行っても友達とは言えないが、嫌われることは殆どないような気がする。躊躇する人の多くは、言語の壁を想像しているようだ。私が日本語で話しかけると、気持ち良く対応してくれる。 そして、私の経験だけではない。川崎市で外国人市民の実態調査を行った場合、日本人の友好的な態度を指摘する返答も多かった。 確かに、例外はある。しかし、目立つ例外は凡貌外国人(即ち、韓国人、朝鮮人、中国人)に対する嫌悪を表す。離貌人に対して嫌悪を表す出来事は非常に少ないし、個人的な中傷に留まるようである。 だからと言って全く問題はないというわけではない。偏見は大きな問題ではないと言っても、先入観は激しい。...

言い方の問題

日本に住む人の人種は必ず統一されているとは限らない。確かに圧倒的に多い人種があるが、例外もある。しかし、この事実について話すのは難しい。それは、人の反応が悪いからとか、恥ずかしいからとか、話題を挙げたら批判されるからなどではないのである。そのような「難しい」ではない。ただ単に、日本語には必要な単語は存在しないので、伝えたい意味を伝える文章を講じるのは困難である。 ここで、私がいい例になる。私は、一体何なんだろう? 外国人ではない。私は、日本国籍しか持っていないし、日本に住む歴は15年間だし、日本語で大学の論理学の講義も台本抜きにできる。...

修理修繕

地球の資源には限度がある。確かにその限度は人間の掘り出す力にもよるが、それでも限度がある。新しい資源を入手するために、環境へ悪影響を与えることは多い。だから、新しく使う資源の量を最低限まで抑えるのは当たり前なのではないか。日本の「勿体無い」精神とも関わる。資源の利用を抑えるために、不具合が発生した物を修理するのはいい方法である。修理には時間と技能は必要であるが、必要になる資源は壊れた部分に限るので、資源の利用を抑えることはできる。しかし、現代の商品の大半は修理できない。できる場合でも、新品で買うよりお金がかかる。そのため、一般人は修理しない。それで、ちょっとだけ壊れたものは捨てられ、資源の消費に拍車がかけられる。...

使い捨てプラスチックの廃止

使

毎週、プラゴミの日になると、大きなゴミ袋を出す。それは私たちだけではない。ゴミ出し場にはプラゴミが山積する。このプラスチックが本当に再利用されるかどうかは分からないが、正しく捨てられないプラスチックも多い。再利用ができるとしても、エネルギーはさらに必要となる。ただ捨てることになったら、長年に亘り環境に残る。海洋はもうプラスチックでいっぱいであると言われる。その意味は、どこに行っても海水にはとても小さくされたプラスチックの破片は検出されるし、量は予想より多い。魚や鯨などの動物にもプラスチックが見つかる。大きなプラゴミも良く見つかるし、陸上の環境も同じであると思われる。 この問題は社会レベルの問題である。個人としてプラスチックの消費を減らしたいと思っても、それほどできない。買い物をしたら、プラスチックに包装された商品は多いので、少なくともそれを避けることはできない。...

緑の通路

緑の通路は、地域規模の環境対策である。地球への影響はもちろんあるが、主な目的は地域の環境の改善である。そして、都会の環境にしか適していない。田舎であれば、必要なのは違う措置だからである。 緑の通路というのは、自然の帯状の地区が都会を横断して、両端に棲む動物が都会を渡ることができ、活動範囲を広げるための設備である。なぜこのようなことが必要になるかというと、動物には移動する必要があるからである。特に肉食動物は、狭い範囲で生息しようとしても、無理がある。動いて、様々なところで獲物を探さなければならない。しかし、都会や道路などが超えられない壁になる。その結果、合計で面積が十分足りる場合でも、狭い部分に割かれているので、一頭も生息できない場合が発生する。...

乗用車離れ

乗用車の排気ガスが気候変動を促進する。その上、含まれている汚染物が道路付近の空気を汚して、住民の健康へ悪影響を与える。さらに、交通事故で毎年数百人の子供が犠牲となる。車依存のため人が運動不足になって、健康が崩れる。そして、社会的に車が必要となると、運転できない人、つまり子供、高齢者、障害者、貧困者は大変不便な立場におかれてしまう。 長期的に見れば、私有車離れを促進するのは良いと思わざるを得ない。しかし、現代の社会には乗用車が深く織り込まれているので、外すために大変慎重に取り組まなければならない。そして、私は車を所有したことはないし、運転免許をイギリスで持ったとは言え、日本で持ったことはない。だから、個人的に車離れを完全させるのは極めて簡単である。何もしなくていいさ。だからこそ慎重に考えなければならない。他人を自分の生活に合わせようとしたら、真摯な検討は必須である。...

省エネ

環境問題に対応するために、省エネも重要である。完全に再生可能エネルギーに切り替えれば、確かに発電が気候変動を齎さない。それでも、その発電には環境への影響がある。風車を立てたり、太陽光発電パネルを設置したりすれば、環境への影響は避けられない。その必要な量を最低限に抑えるべきである。...

再生可能エネルギー

現代の環境問題の中で、気候変動は特に喫緊の問題であると言えよう。変動の結果はもはや見えてきたし、被害も認めざるを得ない。効果的な対策を取らないと、被害がさらに拡大することは確実である。その上、いま大規模な対策を導入しても、被害は数十年間拡大し続ける。気候は大きな存在で、200年程度の人間の影響は即座に消すことは考えられないからである。だからこそ、すぐに積極的に取り組まなければならない。どこに住んでも、住民の生命と生活を守る為に重要な義務である。...

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