カテゴリー神棚祭祀

供物の提供

神棚の祭祀の一部として供物を奉るのは重要である。そして、その供物の内容には多様性があるのは伝統である。お米が重要になるが、お米、ご飯、お餅等の形式があるし、季節の物の献饌もある。だから、供物の内容を変えても、伝統を鑑みれば、少なくとも神に失礼ではないと確信できる。そして、自分の気持ちに基づいて変えることはできると言われるので、実験の一部として変えても、それが問題にならない。 結果の分析を簡単にするために、二者択一の形にすべきだろう。今の段階で、神の影響の存否を問うので、簡素な実験形式は一番相応しい。そして、神饌の歴史を振り返れば、候補が直ぐに現れる。明治維新まで、所謂熟饌を奉ることは多かった。それは、ご飯や焼き魚を供えることだった。つまり、人間が食べらる状態で提供した。しかし、明治政府の祭祀改革以来、生で提供することが一般になった。...

個人の検討

神棚の祭祀には、神の存否が重要な要素になる。より厳密に言えば、神が神棚に存在するかどうかが重要である。神が存在しないと、拝礼がただ精神的な行為になる。そのような行動に大きな成果がある場合も少なくないので、それで軽視すべきではないが、本質が大きく変わることは間違いない。 実は、神社本庁等の神道を代表する組織の見解も曖昧である。神棚に奉斎するお札には神様が鎮座するかどうかは、持論が分かれるそうだ。そして、お札に神霊はないと主張する人の中で、遥拝の施設になると主張する人がいる。確かに、神棚に鎮座するか、遥拝するかは重要な違いであるが、神の存否の立場から変わらない。少なくとも、今の段階で区別することはできない。そして、お札はただの象徴で、特に霊力はないと主張する人もいる。神社界の中でそのような人は少数派であるような気がするが、確かに存在する。...

神棚祭祀の御祓

神棚の祭祀は家庭内の毎日の祭祀ではあるが、祭祀であることは変わらない。祭祀は、日常生活と区切りを入れて行うべきである。そして、祭祀は、穢れが入らない時空間として見立てる。神饌の投稿で、神棚祭祀の後で神饌を夕飯として食べるのは良いと述べたが、それで夕飯が祭祀の最後の区切りになる。 祭祀の開始の印になるのは、当然御祓であろう。御祓で穢れがない状態を見立てるし、祭祀を執り行う心理も導入する。但し、家庭祭祀を毎日の行動としたいなら、御祓を長くしない方が良かろう。 祓詞として最短の「祓え給い、清め給え」は十分だろう。そして、できれば代表者が祓え串でまず自分を祓え、それから神饌と他の参列者を祓える。 儀式の次第とすれば、下記の通りだろう。 まず、祓え役が祓え串の前で一礼する。 そして、「祓え給い、清め給え」という祓詞を唱える。...

神棚祭祀の神饌

神棚の神饌をどうすれば良いのか。 神社本庁の資料によると、お米、お酒、お水、そしてお塩が良いそうだ。ただし、これは何を意味するのかは、はっきりされていない。その上、伝統としても、明治以降の祭祀規定にしか根拠しない。家庭祭祀の効果を強めるために神饌にも意味を込めるべきなのでは無いだろうか。 毎日同じものを奉らなくても良い。そして、特別に神饌を用意する手間を省くと良い。準備の時間を含んだ家庭祭祀が長引くと、意味がなくなるので、気をつけなければならない。絆や目的や理想のための実践的な活動に邪魔してはいけない。 まず、大切な人から頂いたものを神饌として供えると良いと思う。これで、くださった人との絆の重要性を認めるし、神饌の伝統も継承する。この場合、祝詞の中に神饌の描写を盛り込むと良い。それで、感謝などを明言できるし、意識をさらにはっきりさせられる。...

神棚祭祀の形式

神道的な家庭祭祀の中で、神棚祭祀は特に重要であると言えよう。ここで、読者には神棚祭祀の基本的な形式が分かることを前提に、その詳細を考えたいと思う。 目的と絆を思い出すために、適切な神を奉斎する。例えば、近所の共同体のために、氏神様の神符を奉斎する。学問を目的とすれば、天神のお札が良い。そして、特定の祝詞で斎行する。その祝詞の特徴の一つは、神の名前の前に、司る分野を描写することである。例えば、「学問を司る天神様」と言う。(それは祝詞っぽくないが、文言を後ほど考えるつもりだ。)その内容を口にすれば、髪が司る分野を思い出す。そして、人間なら、なぜこの分野を司る神様を奉斎しているかも、思い出す。絆と目的が目の前になる。...

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