神棚祭祀の神饌

神棚の神饌をどうすれば良いのか。

神社本庁の資料によると、お米、お酒、お水、そしてお塩が良いそうだ。ただし、これは何を意味するのかは、はっきりされていない。その上、伝統としても、明治以降の祭祀規定にしか根拠しない。家庭祭祀の効果を強めるために神饌にも意味を込めるべきなのでは無いだろうか。

毎日同じものを奉らなくても良い。そして、特別に神饌を用意する手間を省くと良い。準備の時間を含んだ家庭祭祀が長引くと、意味がなくなるので、気をつけなければならない。絆や目的や理想のための実践的な活動に邪魔してはいけない。

まず、大切な人から頂いたものを神饌として供えると良いと思う。これで、くださった人との絆の重要性を認めるし、神饌の伝統も継承する。この場合、祝詞の中に神饌の描写を盛り込むと良い。それで、感謝などを明言できるし、意識をさらにはっきりさせられる。

その上、神饌のそもそもの意味は、神と人が共食することだったそうだし、祭祀後の直会も同じ要素を含んだそうである。それを当てたら、神棚祭祀の後ですぐに神饌を一緒に食べるべきだと言える。つまり、食事の直前に神棚祭祀を執り行い、神饌としてその食事の献立を供えることが良かろう。家庭が揃って神棚祭祀を執り行い、揃って食べることになる。家庭の絆の観点から見れば、双方は好ましい。

そして、いつの食事が良いのかは、考えなければならない。昼食は無理であろう。現在の生活環境で、殆どの家庭が昼食をバラバラで食べる。例外はもしかして高齢者のみの家庭だろう。では、朝食か、夕食か、という問題になる。夕食の方が現実的なのではないかと思う。朝食の頃、皆はばたばたで出かける準備を進んでいる。その上、〆切と言える出かける時刻には柔軟性はあまり無い場合は多い。だから、ちょっとだけ寝坊した場合でも、祭祀が省かれる恐れがある。一方、夕食の前に一日の労働が終わったことは多いので、一段落落ち着いてきたし、就寝の〆切があるとしても、柔軟である。だから、省かれることは少なくなるだろう。

その上、前述の神棚祭祀の内容は、感謝を捧げることは中心に置かれているが、ある日の感謝を、その日の内に捧げた方が良いのではないか。これも、祭祀を遅い方にすることを勧める。

この形式にすれば、夕飯を調理して、その一膳を三方や折敷に載せて、供える。祭祀が終われば、徹饌するので、その一膳も食べることはできます。誰が食べるかは、日にちによって輪番で変わるのは良かろう。家庭が祭祀に参加している実感を強めるために、斎主の役も輪番で担ったのは理想だろうが、祝詞を覚えなければならない役なので、負担もある。食事を食べることは、特別に負担を負わせることはないので、輪番でしても差し支えないはずである。

ただし、このようにすれば、もらったものを供える機会がなくなる恐れがある。正に、もらった日に捧げた方が良いと思われるが、急遽に夕飯の献立を変えることはできない場合は多いのではないか。もちろん、神饌を沢山供えても差し支えないのは言うまでもないが、家庭内の神棚を考えれば、物理的に難しいだろう。この点について、もう少し考えたいのだが、神饌の基本を上記の通りにしたいと思う。

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