カテゴリー常若と常世

御霊代

供物を奉るために、神様が必要となる。と思われるが、元々そうではない場合があったようだ。例えば、宮中祭祀の新嘗祭では、神座はないと言われる。供物を神宮の方向に向けて遥拝の形で供えるそうだ。それでも、一般の神社の形式には御神体があるので、その方式を前提として考える。 永続の立場から考えれば、避けるべき形の御神体がある。それは、同じ物体が長年続けて御神体として存続することである。神宮の八咫の鏡はこの形であるが、他の神社で真似しない方が良い。 なぜかというと、長期的に考えれば、事件が起きるからである。何かの事故で御神体が損傷を受けたり、破壊されたり、失われたりする。火災とか震災とか盗難などの問題を予想できる。その時点で初めて御神体を新しく作ろうとすれば、伝統に大きな溝が現れるし、必要な技能は近所にはない恐れもある。...

供物

供物

祭主がいれば、次に必要となるのは供物だろう。供物なき祭祀はあり得ない。 一つの方法は、供物を神職の食事と同じものとする方針である。そうすれば、神職が食べている限り、供物が途絶えない。しかし、信仰の立場から考えれば、これはちょっと違うことは明らかであろう。勿論、神職の栄養を確保しないと祭祀が途絶えるが、それはちょっと離れる問題だとしよう。ここで、供物を狭義で捉えて、神職の食事と別な問題として考えたい。 神社以外の文明に頼らないこととすれば、供物を自給自足とするのは基本である。珍しいものとして外からの物を供えることも許しても構わないが、基本の供物を神社の周りで神社人の自力で整える必要がある。...

社家と宮座

神社で祭祀を行う最低限の必要な要素は祭員の存在である。専任ではなくても良いが、祭祀を行う人はいなければ、祭祀が行われない。現在の神社界の実情を見渡せば、これは一番の問題になっているのではないかと思われる。所謂後継者問題である。 では、そのような問題が発生しないように、どのような制度が良いのだろうか。神道の歴史と現状から言葉を借りて、社家と宮座を提案する。 社家はほぼ一般の利用通りである。ある家族が神社の祭祀を代々担うことである。社家の子供が幼い頃から祭祀に携わって、当然に神職になって祭祀を継続させることである。社家を掲げる理由は主に二つある。...

常若と常世

神社祭祀で「常若」という概念が見える。特に、伊勢の神宮の式年遷宮の説明でよく使われる表現である。その場合、意味は神宮の神殿などの建物等を20年毎に建て替えることで、神宮が永遠まで瑞々しく続く現象である。1300年以上の歴史を持つ神宮だが、一番古い建物は戦後に建てられただろう。同じ祭祀や行動を繰り返して、永遠まで続くという理念である。 これは、神社の祭祀で重要であると私は思う。神職や総代が死ぬが、その後継者が祭祀を続ける。社殿が老朽化するが、建て替えて神社を存続させる。変更の中で不変である。それは常若の概念であるし、常世の実現でもある。 確かに、もはや後継者問題が叫ばれて久しいが、ここでその問題を解決できるはずはない。過疎化と関連するし、社会構造の移ろいとも関わる。取り組むべき問題ではあるが、別な機会に託したいと思う。...

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