カテゴリー理念

共存共栄

惟神の道では、共存共栄の概念は重要である。それは、「和」の一部でもあると言えよう。人間同士の共存共栄は重要であるのは言うまでもないが、その具体像を別な理念で描くので、この記事で余り触れるつもりはない。 寧ろ、人間と自然界の他の存在との共存共栄を強調したいのである。 神道には歴史的に自然崇拝の要素は強いと言われるが、熊野那智大社の滝を御神体とする神社を考えれば、否めるわけはない。そして、富士山の噴火を鎮めるために浅間神社を建立することもあったようだ。同じように、祈年祭は豊穣を願う祭りで、新嘗祭はその豊穣の感謝を奉る祭りである。...

浄:浄明正直

「浄」というのは、清浄で汚れのない状態を表す。惟神の道の理念として、穢れを避けることも表現できるだろうが、ここで「正」「直」「明」と関連する意味で捉えたいと思う。 「浄」の理念は、自分の人生を模範とすることである。 もう少し具体的に説明する。自分の人生の全てが相手に正しく把握されたら、その人がその人生を模範としても、自分で違和感を感じないことである。つまり、自分の人生の中で自分が批判的に思う要素はない状態を表す。これは明らかに達成できない理念であろうが、目的として適切であるのではないか。そして、「浄」の字との関係も明らかなのではないか。自分の人生や活動には自分にとって汚れとして認める点は一切ない状態を指しているので、清浄な人生を指すとも言える。...

明:浄明正直

「明」が明るくて光ることを連想させるだろう。惟神の道の理念として、「正」で得た知識を提供する行動を指す。いつでもどこでもお説教すると言う意味ではないのは言うまでもないと祈って已まないが、積極的な意味も含まれている。 それでも、消極的な意味を忘れてはならない。消極的な意味は、事実と異なることを信じさせない理念である。周りの人に嘘を信じさせることは「明」の理念に背く。もちろん、堂々と嘘をつくのは「明」から遠く離れている。しかし、言葉は正しいけれども、文脈などから間違った意見に誘導することがわかったら、言い方を変えるべきである。同じように、沈黙で間違えさせる行動もよくない。自分の誤りで他人に不確かな情報を伝えることも、「明」に違反する。確かに、自分で真摯に信じれば、相手に伝えるのは判断として批判できない行動だが、本当に間違っていれば、「明」に違反する。「明」を保つために、「正」に励むしかない。...

正:浄明正直

「正」と「直」の関係は深い。「正直」でその事実が明白になる。それでも、理念として区別したいと思う。 「正」は、事実を知る理念として掲げたいと思う。その上、事実を正しく把握するために努力することも含まれている。 「正」のために、勉強することは重要である。物事の事実を把握するために勉強したり研究したりすることは基本だろう。行動する前に調べることも「正」の一部であろう。 事実を正しく理解しない限り、行動が好ましく実る可能性は極めて低い。英国の欧州連合離脱の過程を外から見れば、これを痛感する。離脱の影響をよくわからない人は多いし、交渉の状態を正しく把握していない英国の政治家は大半であるようだ。この事実は、最後の危機に至った時点でようやく明らかになった。だから、行動する前に正しい理解は必要である。 つまり、狭い意味で、行動する前にその行動の要素や背景を把握するように努めるべきである。...

直:浄明正直

神道で、「浄明正直」という4文字が重視される。実は、神職の資格の名称はこの文字から取られている。確かにいいことばかりだが、具体的な解釈はそれほど簡単ではないだろう。ここで、私の解釈についてちょっと論じたいと思う。まず、一文字ずつの解釈とする。...

元々本々

「元々本々」というのは、神道でよく聞かれる理念の一つである。その意味は、「はじめをはじめとし、もとをもととする」と言われる。つまり、元の形に立ち返り、その出発点から出ていることを確認することである。 この理念を保守的に解釈するのは当然だろう。いつも、過去の通りにすべきであるかのように受け取ることには無理がない。しかし、そういう風に解釈しない方が良いと私は思う。...

最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報