では、仮に占いから模様を読み取ったとすれば、それからどうすれば良いのだろう。 これで、神の意思を把握する方法ができたので、この占い方法を使って、まず神を敬う方法を特定する。直接に話しかけて、答えをもらうことはできないだろう。寧ろ、選択肢を提供して、指摘の通り祭祀を執り行う。...
占いの裏
占いの結果には模様があれば、それは神の意思の表現であると定義してきた。しかし、本当にそうであるのだろう。何か別な存在が邪魔をしている可能性にも配慮しなければならないのではないか。 驚くことに、そうではない。何故なら、現時点で神の本質が全く分からないからである。そのため、神社で執り行われた神事に関与する存在で、目で見えない存在で、そして超自然的に関与する存在は、神であると定義できる。神道では、神の質について決まっていないので、事実はなんであっても、神であると言える。 具体例を考えよう。...
模様はない場合
占いで何も模様が見えてこない場合は、どうすれば良いのだろうか。 一つの選択肢は神の存在を否定して、計画を止めることである。それは科学的な方法なのではないかと思われるだろう。しかし、科学のやり方を検討すれば、本当は違う。一つの失敗で完全に辞めるのは大きな間違いで、科学の進歩を妨げる。科学者が実践の中でこのことを理解する。 結果が出ない理由はいくつかも考えられる。一つは、確かに神が存在しないことである。当然、存在しないと、神社にとって好ましくないし、意識を検討する方法がなくなる。それでも、事実はそうであれば、残念であるが、認めるべきである。...
占いの評価
占いの結果をどう評価するか。将来について占えば、実際にそうなるかどうかを調べることができる。科学の理論を試すと同じ概念である。しかし、ここで提案した占いは違う。神の意思の表現に止まるので、占いの結果と神の意思を比較することは基本である。ただ、神の意思を探る方法は、占いしかない。だから、占いの間違いをどうやって見つけられるのだろうか。 この問題は、実は科学でも発生するので、対応策は知られている。まず、結果の中の模様を探るのは解決策である。 人間の例を考えよう。ある人は、串を意図的に選んで晩御飯を注文するとしよう。その選択肢は寿司、トンカツ、ラーメン、カレーライス、そしてお好み焼きである。もちろん、毎回同じ結果になるとは限らない。気分によって変わるし、毎日同じものを食べたい人はほとんどいない。そのために、すぐに無作為な選択と区別できない。...
占いの方法
占いしようとすれば、方法は必要である。そして、その方法を神道の歴史から選ぶべきであろう。それは今回の祭祀の仮説の本質であるので、逆らう筈はない。 しかし、もう一つの重要な要素がある。占いの目的は、神の意思を探ることである。だから、人間の意思が邪魔する方法を避けた方が良い。 例えば、神憑りの託宣の場合、神懸かりとなる人の意思が混ざる恐れがある。わざと偽った託宣を言うことを考えなくても、無意識で自分の意思を表す可能性は十分ある。そして、どうやって神懸かりになれるか分からない場合、占いの開始さえが難しくなる。神懸かりが神道の祭祀から明治時代にほぼ払拭されたので、やり方を継承してきた人はもう少ないので、学ぶ機会も少ない。それでも、一番の問題は人間の意思の排除ができないことであろう。...
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