日本精神

私は、日本の政治を日本の精神に基づいて行うべきであると思う。なぜなら、ここは日本であるからだ。

「日本の精神」を讃えるのは、普段は保守派であろう。先祖代々から受け継がれた大和魂を声高に謳え、日本人の遺伝子を特別に誉めることは多いと思う。当然だが、私はちょっと違う。私話で恐縮だが、私には大和民族の遺伝子は存在していないが、そもそも「遺伝子」と「文化」の影響は、複雑に絡み合って、区別できない要素である。そして、遺伝子を考えても、日本人固有の遺伝子は一切ないと言えるはずである。鎖国時代があったとはいえ、日本はそれほど世界から隔離されていない。それでも、日本の精神があるのは間違いない。それぞれの国には、その国の精神があるが、日本は例外ではない。完全に西洋化してきたと愚痴を言う人もいるが、そのような人には西洋文化の体験はないと思わざるを得ない。それでも、日本の精神は不易流行だと言いたくなるが、「不易」と言えるかどうかは疑わしい。江戸時代の日本精神と今日の日本精神は同じであるかどうかは、断言できない。

とにかく、根源は遺伝子にしろ、文化にしろ、性質は不変にしろ、流動にしろ、現在の日本精神があるし、それを日本の政治に活かして欲しいのである。

理由は主に二つある。一つは個人的である。私が日本国籍を取得した大きな理由の一つは、日本精神に強い魅力を感じたことであった。だから、折角日本国民になったら、その精神を失いたくないのは当然だろう。魅了されたからといって、日本精神や日本社会には欠点や欠陥はないと思うかと言うと、決してそうではない。欠点のない社会はそもそもないと思うし、いつでも改善する余地がある。日本でもそれが見える。昭和15年の日本社会と平成15年の日本社会を比べると、後者の方が大幅に優れていることは明らかである。これからも、同じ改善が繰り広がるように祈って已まない。そして、その改善の過程で外からの影響や教訓が働いた事実を完全に否定するつもりもない。他国を見て、重要なヒントを受けることはできる。しかし、完全に外国を真似して、日本精神を失わせていかないで欲しい。

客観的な理由もある。国は国ごとに違う。現状も違うし、問題も違うし、社会的な資源も違う。例えば、アメリカを考えよう。(このような文脈で、アメリカを考えることは多い。)私が見える限り、アメリカの三大問題は、人種差別、貧富格差、環境破壊である。そして、一大の社会資源は、移民の力であろう。日本は全く違う。三大問題は、男女差別、過疎過密、少子高齢である。一大の社会資源は、もしかして共同体意識だろう。日本がアメリカで提案された政策を鵜呑みしたら、問題の悪化になるのではないかと思えるぐらいである。(ところで、現時点のイギリスの三大問題は、欧州連合離脱、欧州連合離脱、そして欧州連合離脱である。資源は高度な技術であろうが、それを支える産業をもう失った。)日本の問題を解決するために日本の資源を活用しなければならないので、日本の精神を活性化する必要があろう。確かに拘束力のある法律に相応しくない側面は多いが、促進に値することは少なくない。

各国でこのように問題と取り組めば、国ごとの特徴が顕著になるのではないか。私は、それが望ましい状況であると思う。世界レベルの多様性になるので、共通の問題と複数の側面から取り組む。それで、一番効果のある方法を見つける確率が上がる。その上、人によって自分にとって適切な社会環境が違うので、世界中の国がそれぞれ異なれば、自分に合う国を見つけることはできるのではないか。この中で、日本を日本らしい国になって欲しいのだ。

つまり、アメリカを基準とするべきではない。日本の社会問題を日本らしく解決するべきであると思う。

4 コメント

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    • 日本の国民の間に遺伝子の相違が見られるのは当然です。平均的に周りの国と違うのは、北海道の人が平均的に九州の人と違うと同じようです。(そして、日本と韓国の間の行き来は、北海道と九州の間より難しいですし、言語の壁もありますので、日本と他国の相違の方が大きいと思われます。)一方、小学生と中学生の時代をアメリカで過ごした帰国子女はよく「日本人に感じない」と言われますので、遺伝子に過剰に比重しない方がいいと思いますね。

      • 一つ聞きたいのですが、御息女の誕生月日の和は19?
        四柱推命やっていて、良ければ産まれた日の時間を教えて頂きたいのですが。

        • すみませんが、それほど詳しい個人情報を公表しかねます。ご理解をお願い申し上げます。

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