寛容と迷惑

寛容な心と迷惑をかけない精神は表裏一体の関係にある。一緒になれば、意志の尊厳の大きな支えになる。

まず、大前提を確認したいのである。人間は皆同じではない。その結果、個人個人の意志を尊重すれば、人はそれぞれの独自の行動に動き出る。甲さんの行動は乙さんにとって好ましくない場合もある。それより、甲さんにとって、乙さんの行動は許し難い行動である場合もある。しかし、甲さんの行動が実際に他人の意志を制限しなければ、止めてはいけない。意志の尊厳を侵すからである。

しかし、これは難しい。それほど嫌な行動と一緒に生活を送るのは無理に近いのではないか。やめてもらわなければ耐えられないと感じる場合もあるだろう。これで対立が発生して、先鋭化する社会摩擦も生じる。どれほど社会問題に発展できるかわかろうとしたら、現在のアメリカを見ても良いのである。

意志の尊厳を損なわずにこの問題を回避するために、寛容な心も、迷惑をかけない精神も重要である。

寛容な心は甲さんの役割である。乙さんの行動に抵抗感を抱いても、我慢して、邪魔をしないのは寛容である。積極的に支援しなくても良い。積極的な支援を甲さんから要求すれば、無理があるので、軋轢の原因にもなる。その嫌な行動をそのままに置くのは充分である。

迷惑を掛けないのは乙さんの役割である。甲さんの寛容な心に負担を掛けない方が良い。そうするために、乙さんは甲さんが乙さんの行動になるべく気づかないようにすると良い。それは隠すほどではないが、見逃しやすい状態でやることである。

具体例で表そう。神道に対する嫌な思いを持つ日本人もいる。(その大半は誤解に基づいていると私が思うが、寛容と迷惑回避の場合、相手の根拠を問わない。)一方、肯定的に思う日本人もいる。後者に神道的な行動を可能とするべきである。前者はそれに対する寛容的な立場をとるべきである。しかし、後者は、迷惑を掛けないように気をつけるべきである。日常生活で、神社を避けたい人は神社を避けることはできるように工夫する。主に、特定された場所で祭祀などを行って、その場所を避けたら良い状態を保つと良い。御神輿渡御があれば、それは年に一回の特定の日に限れば、無理の範囲に至らない。強制的に祭祀に参加させないのは言うまでもないが、社会的な圧力も掛けないのは原則である。その圧力は迷惑になるからである。

この迷惑を掛けない精神は、神道を日本人の精神の神髄であると思う場合こそ重要である。そのように考えられている行動、そして社会にはもう普及された行動はすぐに大変な迷惑になって、寛容な心に重い負担を課す。実際に、社会的に有利な立場に立てば立つほど、寛容な心を養って、立場が弱い人に迷惑を掛けないように気をつけなければならない。なぜかと言うと、弱い人が寛容的ではなくても、実際に強い人の行動への影響はあまりないし、意図的に迷惑をかけるようにしても、それほど迷惑にならないからである。大きな迷惑をかける力はないはずだ。強い人は逆である。寛容はないと、弱い人に大きな弾圧になるし、迷惑に特になりたくないとしても、大きな迷惑になることもある。

アメリカでのキリスト教と日本でのキリスト教は顕著な例になるだろう。アメリカでのキリスト教はまだ社会的な権威を持っているので、寛容ではないと、弾圧になるし、普通の行動で他宗教の人に迷惑になる。日本でのキリスト教はそうなれない。仮に全く寛容的ではないとしても、ただ無視しても良いのではないか。同じように、迷惑をかけようとしても、それほどできない。神道はまだある程度の社会的な権威をもっているので、より気をつけなければならない。

これで、日本の精神とアメリカの精神が大きく違うと思う。アメリカで、自分の立場を強調すべきである。そうすれば、周りの人に迷惑をかけるが、その迷惑に気にすべきではないと思われる。周りの人に寛容する義務があると強調されている。この態度から社会的な問題が起きているので、日本の精神でそのような問題が避けられたら良いと思う。

もちろん、日本の精神にも問題がある。特に弱い人、例えば少数派などには、迷惑を掛けずに自分に必要な活動余地を確保できないこともある。このような問題を話し合いで解決すべきだと思うが、そのために話し合いの工夫が必要となる。日本の精神は魔法の杖で、一瞬に全ての問題を払拭するわけではないが、問題を解決する効果的な方法であると主張したいのである。

2 コメント

S へ返信する 取り消す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

  • >この25年間で一番の快進撃は「洗足学園」です。92年は偏差値40.5だったのが今は62と神奈川の難関女子校の一つです。ほかにも女子校では、「頌栄女子学院」「鷗友学園)」「豊島岡女子」「吉祥女子」)などが注目です。トップに上がってきた女子校は、比較的理系に強い傾向があります。

    中学受験“25年で上がった学校、落ちた学校” 親の常識で学校を選んではいけない
    http://bunshun.jp/articles/-/7867?page=2

    偏差値62はそこそこかな。選りすぐりの天才俊才が集う所に行って‘深海魚’になるのは避けておきたいし。
    偏差値60台なら世渡りが得意な人が多い印象。校風を受け継いでる人が多い。
    桜蔭や女子学院、雙葉が名門女子御三家として名高いけど、やはり身に纏っている雰囲気が違う。
    自衛官かなと思う人は泰然自若としていて、直立の時は常に一点を凝視しているし、職業病と同様後天的性格として身に付いている。

    親戚が同じ川崎在住なのだけれど、起伏が激しい。自転車通学なら電動が良いかと。
    いや、荷物を考慮しバスかな。課題多いだろうから。

    式子内親王 新刊
    たえだえかかる雪の玉水
    http://www.minervashobo.co.jp/book/b359751.html

    • いろいろ考えなければなりませんね。確かに起伏は激しいし、偏差値のみで学校を評価することはなかなかできません。ややこしいです。

      紹介してくれた本は興味を持っていますが、やはり読みたい本の数と読む時間の間の均衡はなかなか取れていません。

チャート 出意人

最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報