非常事態の下の人権

非常事態で人権が制限される。それは非常事態の意味である。普段、国民の権利を侵さないように様々な措置は導入されているが、非常事態ではそれは一時停止される。例えば、意見募集の義務などは、非常事態で停止される。救済する前に某日間の意見募集期間を設けることはできない。

しかし、全ての人権を停止するわけにはいかない。非常事態の目的は住民を守ることであるので、被害を与える状態を避けなくてはならない。

まず、表現の自由と言論の自由を制限すべきではない。行政の対応の批判を特に自由とすべきである。不適切な批判が発生するのは確実であるが、行政がそれを無視して働くことはできる。風評被害や不適切な情報に基づいた混乱は恐るべきであるが、基本人権を制限することは適切な対応策ではない。

参政権も原則として同じである。但し、選挙を数ヶ月延期する権利を与えるのが良い。大規模な自然災害が選挙の直前に発生すれば、応急な対応が終わってから行うのは適切である。

所有権を大きく制限するのは適切であると思わざるを得ない。私有地に入って、被災者を探したりすることは重要であるし、通路を確保するために瓦礫などを処分する必要がある。邪魔になるところに止まっている車を処分することも必要になると思われる。多くの場合、事前に確認したら許可を得ると思えるが、所有者を探して許可を求める余裕はない場合は多い。非常事態になっているから。

同じように、集会の自由を制限する必要がある場合もある。例えば、流行病に対応するために一般的な外出禁止令を発令することもあり得る。秩序を保持するための夜間外出禁止令もあり得るが、それを慎重に考えなければならい。そして、他の自然災害で立入禁止区域を設けることも必要になる場合がある。

物理的な動きや物理的な所有物に対する権利が制限されることは多いが、抽象的な権利も制限されることはあるだろう。例えば、プライバシー権はその一つである。実態を調査して共有するために、人の情報を集めて公表することがある。普段は、対象者の同意を一々得なければならないが、非常事態でその手間の余裕はない。

このような非常権力は悪用される恐れがあるが、それは一般的に認められない理由である。非常事態の対応に必要な措置を慎重に考えて、権利の制限を憲法に明記するべきである。一般法に委ねるのは危険なので、制限できる権利を憲法で明記して、その詳細だけを法律に委ねる。

この特別権利によって住民が被害を負うことはあると思われる。しかし、それは非常事態の真っ最中に償うことはできない。まず、危機を解消する。その後、行政の責任を問うのは非常事態で原則となるだろう。それでも、後で行政の責任を問うべきである。

2 コメント

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

  • >まず、表現の自由と言論の自由を制限すべきではない。行政の対応の批判を特に自由とすべきである。不適切な批判が発生するのは確実であるが、行政がそれを無視して働くことはできる。風評被害や不適切な情報に基づいた混乱は恐るべきであるが、基本人権を制限することは適切な対応策ではない。

    一億國民が一丸となり、前線将兵は醜の御楯として戦争貫徹に邁進し、並び銃後は赤誠を以て持場を死守し、臣民に課せられた天与の試練であるとの自覚の元、紐帯を引き締めなければ時局打開は果たせられないのであります。
    よって、この試練を克服してこそ、光輝ある歴史に新たな頁が加えられ、日清、日露、大東亜戦争と父祖からの栄誉が後世に語り継がれてゆくのであります。
    就中、戦争とは組織対組織、双方の科学技術の衝突であり、流言飛語に惑わされぬよう言論は規制されるべきであると思われます。

    • いつもコメントをありがとうございます。

      ここで、言いたいことは二つある。まず、言論の自由と守秘義務は別な問題であると私は思います。絡み合って難しくなる場合もありますが、原則として区別できます。特に人間の敵がある非常事態の真っ最中に、守秘義務の重要性が増しますが、言論の自由の重要性が一点足りとも劣りません。

      その理由は、一億人が一丸になることはないからです。目的に賛成できない人、目的に賛同するが手法を支持できない人が出るに違いありません。そのような意見を潰せば、更に危機が深まると私が確信しています。

チャート 出意人

最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報