祭りの種類

神社は、誰でも拝める神の祭りのための専用施設であると定義した。そのような施設の中の作法や儀式について論じる前に、祭りについて考えておきたいと思う。

祭りは多種多様である。神職が一人で行う毎日の祭りから伊勢の神宮の式年遷宮まで、規模も内容も千差万別だ。それでも、基本的に二つに分けられると思ってきた。

神の為の祭りと参拝者のための祭りがあると思う。

一般に思い浮かぶ祭りの中で、参拝者のための祭りは圧倒的に多い。七五三等の人生儀礼は参拝者のためで、疫病を防ぐ祗園祭も参拝者のためである。祈年祭と新嘗祭も同じである。祈年祭が豊穣を願うし、新嘗祭はその稔った豊穣を感謝する。しかし、例えば遷座祭は神の為である。遷座祭は、ただ神を新しい神殿に遷ってもらうための祭祀であるので、参拝者の事情と関係しない。

参拝者のための祭りも大きく二つに分けられるだろう。それは、祈願祭と感謝祭である。共通点は特定な参拝者はない限り、このような祭りが成立しないことだが、質は根本的に違う。

神の為の祭りには、今の時点で大別は見当たらない。神を慰める祭りや神を賑わう祭りもあるが、本質が違うかどうかはまだ明瞭ではない。奉納祭も様々であるが、根本的な違いになるかどうかはまだ分からない。このテーマについて考えていくので、その過程で明らかになるだろう。

神社の主目的は神の為の祭りであるべきだと私は思う。神社は、神が鎮座する場所であると定義したので、神は常在する。参拝者のための祭りを主目的とする施設で、必要に応じて神を迎えるべきなのではないだろうか。古代の斎場はその形だったと言われているが、参拝者のための祭りに相応しい設定なのではないか。そのような施設を現在にも設けても良いと私は思うが、ここで定義した神社と違う。

神が常にいらっしゃれば、神の為に奉仕するのは当たり前だと思う。神は神社の使いではないだろう。神社に綴じ込まれ、住民の祈願に応えるように強制されている筈はない。それどころか、神に畏敬を表すための施設であると思われる。そう考えれば、神の為の祭りが主役になるのは当たり前だろう。

そして、参拝者のための祭りを考えれば、感謝祭の方が重要なのではないか。神がいつも崇敬者を見守って、神の徳で運を増せば、特別に祈願していなくても感謝を捧げるのは適切である。家庭内も同じである。配偶者が洗濯や料理をしてくれれば、特に依頼していなくても、いや、特に依頼していない場合こそ、感謝すべきだろう。神を臨時的に迎える施設であれば、祈願祭と感謝祭が対になるべきだと思われるが、優劣はないだろう。この点でも、神社が違う。

だから、神社の祭祀を考えれば、神の為の祭りが怠らないように気をつけなければならないと思わざるを得ない。この点を念頭に置いて論じたいと思う。

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