今日、緊急事態宣言が出される見通しになっている。私は妥当だと思うのはいうまでもないだろう。「不要」か「早すぎる」と思う人は皆無に等しいようだ。「遅すぎる」と批判する声は聞こえるが、その意見が分からないわけはない。
しかし、私はそう思わないとも言える。強いては言えば、金曜日に出した方が良かったのではないかと思うぐらいだ。大まかに見れば、適時に出されると思う。
なぜかというと、拘束力はないからである。緊急事態で強制できることは、医療関係の商品の購入と配布、または医療施設を設けるために私有不動産の利用だそうだ。外出を制限することはできない。バー等の店舗の休業も強制的にさせられない。つまり、感染拡大を防ぐために、住民の自主的な協力は欠かせない。
では、どうやってその協力を得られるのか?それは、当然、住民が制限の必要性を認める状態を確保することだ。要するに、緊急事態宣言を出す時点で、住民はもう緊急事態宣言は必要なのではないかと問う背景は好ましい。そうであれば、行政の要請に従う可能性は極めて高い。例えば、デパートやショッピングモールが閉店すると予想できるが、2週間前どうなったかは分からない。感染者数はまだそれほど高くなかったので、もう少し営業するように決めた業者はあったのだろう。それで、独断の方針のままになってしまう恐れがある。今になっても、一部のお店が閉店しないことはあっただろう。
むしろ、現実のように危機が明瞭になった時点で緊急事態宣言を出したら、ほぼ全ての業者がこれはきっかけとして臨時休業を始めるのではないかと思われる。そして、再開は緊急事態解除を待つ可能性も高い。
つまり、政府の無力性に応じた方針だと言えよう。
政府にこのような危機に対応するための権力を与えるべきかと聞かれたら、私はそう思う。このブログで前に憲法に非常事態条項を加えるべきであると述べたが、その時の提案した形式は今回の宣言の形式とほぼ同じである。つまり、首相が宣言を出して、都道府県知事に権力を与える形は良いと思う。しかし、憲法改正しない限り、拘束力の対策は無理だし、憲法改正はすぐに行えないので、政府の対応は現状に応えると思う。
それでも、もう少し手厚くした方が良いのではないかとも思う。接客業に働く人の大半は低所得で、貯金はない。風俗業もさらにそうである。そのような実態で休業したら、生活にすぐに困る。今週食うか、感染病を食い止めるかという二者択一の状態であれば、必ずしも休むとは限らないし、働く判断を分からざるを得ない。だから、要請と共に救済措置を発表しなければ、要請の効果が劣る。その上、その救済措置は6月初頭からではなく、遅くても来週の月曜日から現金が給付される形は必要だと思う。貯金はない人は、収入抜きに2ヶ月待つことはできないからだ。
この場合、本当に緊急事態だから、不正な申請が来ることを覚悟して、迅速に動く制度を急いで設けるべきである。大急ぎで儲けた制度には後日に不備が見つかるに違いないが、それを許すことを決めなければならない。不正は、後日に追求して、罰したら良いのだ。
本当のことを言えば、このような疫病対策は場当たりで講じるべきではない。事前に隔離の原則と救済策の骨子を決めるべきである。それで、いざとなるとそれを実現する。地震が発生してから避難所を決めると同じような状態になっている。幸い、今回のパンデミックは軽い方であるようだ。(悪化する可能性もあるけれども。)軽い方のパンデミックの被害を肌で感じた政治家と住民は、次回に備えてより整備された状態を用意するだろう。
先刻、安倍総理大臣による緊急事態宣言が煥発されました。
正に御國の隆替は國民各々の天与の試練との自覚の下、常在戦場の精神で時局を乗り越えなければなりません。
我ら一億民草には日清、日露、大東亜戦争を繰り広げた父祖からの血を脈々と受け継いでいるのですから、其々の職域や家庭で自存自衛を全うすれば容易に難局を乗り越えられる素質を持ち合わせているのは疑いのない事実なのでありそう確信しております。
又、勝利の要訣は必勝の信念を堅持し衛生維持に注意を怠らないことであります
細菌との戦で勝利を修めたら、仮想敵国に対しこれからの生物兵器使用を躊躇わせる事ができるのでありまして、この経験は決して無駄になること無く我らの血肉となって生きていくのであります。天皇陛下万歳!