研究は人間的な活動である。社会で評価したり支援したりすべきだと私が思う。では、この分野で行政がどのように税金を使うべきなのだろうか。 基本的に、研究を行うために三つの要素は必要。まずは、時間である。これは根本的な問題なので、ここで論じない。(行政が直接に支援する研究で、生活費の提供で研究者に時間を与えるのは極めて重要だが、より一般的な話は広くて重大な課題であるので、ここで割愛する。)そして、教育。教育はないと、質問を講じることさえできない。これも、今回の投稿の課題として大きすぎるが、行政には教育を提供する義務があると言えよう。最後の要素は、研究の道具や材料である。 助成金を出す場合、人件費と道具費が主な項目になる。例えば、火星への探査機の場合、探査機の費用は極めて高い。民間の個人の経済力で到底できないことだ。...
基礎研究
ここで、市民の利益に帰さない研究に国費からの助成金を与えるべきではないと論じている。これを聞けば、基礎研究からお金をとって、開発に注入すべきであると解釈する人もいるだろう。そうする行政は少なくないし、筋が通りそうな理論である。 しかし、私はそう言わない。なぜなら、研究の構成を理解するからである。...
研究開発の助成金
研究開発の行動は、個人的に強く応援する。一般人の日常生活の改善や文明の発展には必要不可欠であるので、進めてもらいたい。或る人が個人的に資金を出して研究を進めれば、それは評価すべき行為であると言おう。例えば、academistというクラウドファンディングサイトで研究の資金を集めて進めれば、称賛する一概だ。 ここで論じたい問題は、国家からの助成金だ。先に言っておくが、国家からの助成金は必要で、国家には出す義務があると思う。(その義務は所謂努力義務だが、日本のような先進国の場合、避けられない義務になる。)しかし、どのような形で出すべきかは、それほど簡単な問題ではない。...
森元会長の件
この数回の表現の自由についての投稿を事前に書いて、公開されるように設定した。公開を待っていた間に、オリンピック・パラリンピック組織委員会の森元会長の女性蔑視発言問題が発生した。これが素晴らしい具体例になるので、ここで論じる。 まず、「女性がたくさんいる理事会には時間がかかる」との発言は、私にも女性蔑視の発言に聞こえる。不適切な発言で、強く批判すべきである。ところで、私が小さな委員会の会長を務めたことがあるが、そういう傾向を見たことはない。よく話す人は男性も女性もいる。その上、委員会で発言することが委員の仕事になるから、趣旨は分かりづらい。...
表現の自由と寛容
法律について論じてきたが、法律は問題の本当の解決策ではない。寧ろ、法律は慣習を醸す道具である。その慣習は寛容だ。多様性のある社会には寛容は必要不可欠であるので、行政の方針で推進しなければならない。 寛容というのは、価値観が根本的に違う人の存在と生活を認めたり許したりする態度を示す。評価できない価値観でも、悪質だと判断する価値観でも、その持ち主の存在と生活を許すことだ。 この態度はなければ、多様性が溢れる社会は維持できない。悪質と看做す価値観を潰そうとする人の間の葛藤が煽られて、政治的な紛争まで繰り広げる。場合によって、ある価値観を弾圧して、平穏を取り戻すが、それ代償は多様性の喪失である。最悪な場合、内戦まで展開することもある。...
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