研究開発の助成金

研究開発の行動は、個人的に強く応援する。一般人の日常生活の改善や文明の発展には必要不可欠であるので、進めてもらいたい。或る人が個人的に資金を出して研究を進めれば、それは評価すべき行為であると言おう。例えば、academistというクラウドファンディングサイトで研究の資金を集めて進めれば、称賛する一概だ。

ここで論じたい問題は、国家からの助成金だ。先に言っておくが、国家からの助成金は必要で、国家には出す義務があると思う。(その義務は所謂努力義務だが、日本のような先進国の場合、避けられない義務になる。)しかし、どのような形で出すべきかは、それほど簡単な問題ではない。

基本的な問題は、国家の出費は国民から税金の形で取られた財産から出ることだ。税金は強制的に取られるので、行政が軽い気持ちでばら撒くべきではない。国民の利益に帰する使い方でなければ、してはいけないと言えよう。もちろん、全ての出費が全ての国民に利益を与える必要はない。生活保護は、そのお金を受給する人に直接的に利益を与えるが、他の国民に対して間接的だ。だから、研究開発助成金も同じように間接的に利益を与えても良いのだ。

私の判断基準を簡単に述べたら、「国の住民をはじめ、世界中の人々の可能性を広げること」とする。

例えば、医学の研究は許される範囲に入る。その研究の成果で、コロナ禍に対応できるようになったし、癌も私が生まれてから治せる病気になってきた。癌に患わらなければ、癌研究の利益を直接的に受けないが、癌になる可能性がありますので、間接的な利益がある。そして、全ての医学研究の成果で、平均寿命が長くなるので、死ぬ前にできることが増える。可能性の絶対的な制限は時間だから、時間を与える研究を肯定的に評価せざるを得ない。

一方、天文学はどうだろう。遠い星の構成が分かっても、一般市民の可能性が広がると言い難いのだ。個人的に興味を持っているが、個人的な興味が強制的に税金を取り、研究助成金に充てる理由に値するかどうかと聞かれたら、否定するしかない。

だから、原則として国家の研究開発助成金は、医学研究のような研究に充ててもいいが、天文学のような研究に充ててはいけないという結論になる。

しかし、この言い方は単純すぎる。結局、直接に国費を天文学に注入すべきではないと思うが、その理由は上記の説明より複雑だ。研究の成果は確実なことではないし、重複的なことでもある。考えなければならない側面は少なくないので、数回に渡って論じたいと思う。

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