適応のある基礎研究

ここまでの流れで、国家が基礎研究のために助成金を出すべきではないかのように見えると思う。実は、そうではないので、今回その背景を説明したい。

「基礎研究」という言葉は、すぐに活用できない研究を指す。だから、国家が出費に慎重すべきであるのは否めない。しかし、大きな利益も齎すので、完全に無視すべきではない。

なぜかというと、基礎研究で、想像さえできなかった可能性が把握されるからである。パソコンの半導体もソフトも基礎研究から発生したが、200年前にその可能性は把握されていなかった。100年前の基礎研究が半導体と繋がったし、200年前の基礎研究がソフトと繋がった。だから、基礎研究はなければ、長期的に市民の不利益になる。その不利益に気づかないが、可能性が奪われる。

国家には長期的に考える義務がある。目の前の問題としか取り組まない政府は、疫病の発生等によって大きな打撃を受けて、一般市民に大きな被害を許してしまう。基礎研究を支援することは、長期的な計画の一部である。環境問題との取り組みもその一部だが、環境問題の存在も基礎研究で明らかになったので、基礎研究の必要性をまた証明する。

しかし、全ての基礎研究を行う余裕はない。それに、基礎研究だけで市民の利益にはならない。基礎研究はなかったら、パソコンはないが、基礎研究だけでパソコンが製造されたわけではない。その開発や適応にも国家が助成金を注入すべきだ。

つまり、支援する基礎研究の分野を選ばなければならない。

研究企画ごとに選ぶ基準を設定しようとしたら、到底できない。研究の結果は予想し難いが、基礎研究はさらに難しいのだ。どの基礎研究にも重要な事実を明らかにする可能性はいつもあるが、その確率は分野から判断するしかない。それで、どのような分野が良いのだろう。

まず、広い意味での歴史は重要になる可能性は低い。個人的に歴史が好きだし、研究したことがあるので、残念に思うが、事実は否めない。歴史は、もう終わったことを研究対象とするので、現在に直接的な影響を与える可能性は比較的に低い。ゼロではないが、問題は確率だ。ちなみに、ここでいう「歴史」は、考古学も古代動物も宇宙の発展過程も含まれる。

そして、生活圏に近い現象が良い。木星は現在存在しているが、日本人の生活に大きな影響を与えない。だから、木星についての研究を支援することも推薦できないだろう。

このように絞っても、範囲は広い。材料科学、生物学、生態系学、気候学、医学、心理学、社会心理学・・・枚挙にいとまない。このような分野の中で基礎研究を支援して、その分野の専門家に詳しい選別を任せても良い。重要な結果が出る可能性は十分あるし、前述の工夫で他の分野の基礎研究を可能とする。

しかし、研究には成果はない場合もある。民間で行われた研究でそうなる可能性に触れたが、国家の助成金を受けた研究にも同じような結果になることもある。その対応についても、次回論じたい。

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