子育てで、保護者と子供は違う人であることは忘れてはならない。そのため、保護者の利益と子供の利益が違う。価値観で論じたが、「子供の利益を最優先すべき」とは一概に言えない。価値観で、子供の利益より優先すべき利益が存在することは少なくないし、そのような価値観(宗教の大半が含まれている)を許すべきだ。それでも、利益相反について考えて、制限すべきだろう。
子供と保護者の利益相反が特に問題になる理由は、利益相反の一般的な問題である。自分の利益が関係するので、どうすべきであるかと考えれば、自分の利益に影響されて、不適切に判断する恐れがある。悪意がある場合も考えられるが、本当に利益を適切に考慮したい場合もある。その場合でも、無意識に自分の利益を優先することは多い。
だから、利益相反が発生する場合、子供の利益を法律で守ることは良かろう。
比較的に簡単な例は子供の労働だ。実は、禁じることは価値観の多様性に抵触するので、慎重に考えるべきだし、今でも子供の労働は許される。(子役の俳優は顕著な例。)ただし、利益相反も明白だ。子供が働いて、保護者が収入を得ることになったら、働かせる傾向が発生するだろう。
この問題で、簡単に利益相反を解消できる。子供の収入の全額は、子供のために管理され、子供が成人になる前に使うために家庭裁判で許可をえる必要があるとすれば、利益相反がほぼなくなる。もちろん、経費などもあるし、子供に自分のお金で自分の欲しいものを買う機会を与えるべきだろうとも言えるので、制度の詳細に工夫しなければならないが、概念はそれほど難しくない。
同じように、性欲で利益相反が発生する。子供との性的な行為を好む人には、大きな利益相反がある。前に、このために一般的に子供との性的な行為を禁じるべきであると論じたが、子育ての環境で「性的な行為」の定義が難しくなる。保護者に、子供と性的なことについて話す義務があるとさえ言える。性教育は必要だし、保護者も関わるべきであるからだ。そして、温泉の家族風呂は、アメリカで性虐待とみなされることもある。だから、この場合も定義と制度に工夫すべきだ。
しかし、根本的に難しい場合もある。支配欲はその例なのではないだろうか。人間には、他人を支配する意欲がある。自分の地位と権力を感じることは、基本的な欲望のようである。だから、子供を指導する行為に、利益相反が発生する。しかし、子育てで子供を指導しなければならない。この利益相反は、行為を禁じることで解消する選択肢はない。そして、その指導の内容について制限できない。価値観の多様性と関係する。
この問題について、現時点で解決策が思い浮かばない。この子育ての問題は一般的に、ものすごく難しくて、厄介であると思う。しかし、多様性を尊重しながら子供の未来を確保することは国家の重要な義務であると私は思うので、この問題についての検討をこれからも続けたいのである。