子供の意思を軽視する傾向があると思うが、実は子供には立場があり、行動に同意する能力もある。保護者の経験を持つ人が顧みれば、それは明白である。子供が成長すればするほど、その意思の尊厳が増す。しかし、子供には賢明に判断できない場合も多い。子供を自分から守るのは保護者と社会の役割の一つである。
では、具体的にどうすれば良いだろう。案として、保護者の行動を四つの範疇に分けたら良いと思う。
まずは、行政が推薦する行動だ。このような行動は、保護者教育の一部として教えるし、行政の施設で支援する。子供が同意しなくても、強制的に参加させることは多い。そして、強制的に参加させることは原則として問題ではない立場を取る。推薦している理由は、子供の将来のためにいい影響を与えるためだから、子供がやらされても長期的な問題になるはずはない。(特別な事情で例外があるはずだが、少数だろう。)
そして、行政が容認する行動がある。これは、積極的に推薦しないが、保護者の子育て方針として悪くないと判断して、強制的に子供にさせることを認める。例えば、習い事の類がこの範疇に当てはまるだろう。行政がある習い事を積極的に推薦するとしても、他の良い習い事があるに違いない。例えば、日本の行政が日本の武道や茶道、日本舞踊、算盤、囲碁等の伝統的な習い事を推薦すれば、バレエ等の習い事が容認する範囲に入る。
もちろん、上記の範囲内でも、子供の同意を得るのは望ましい。ただし、行政が子供の同意を原則として問題としない。確かに、子供を毎日三つの習い事に強制的に行かせれば、それが問題になるだろうが、その問題は全体的な負担で、習い事の強制性ではない。
一つを飛ばして、禁止する行動がある。これは、子供の同意があっても、許さない行動である。子供の未来を確保するために、そして子供を守るために、この範囲の行動を認めない。手足の切断や長い断食がこの範囲に入るだろう。
では、容認と禁止の間に、許容の行動がある。この行動は、子供の同意があれば許すが、子供の拒否する権利を認める。子供の年齢によって、この内容が変わる可能性があるが、存在は必要だ。一つの例として、芸能活動を挙げよう。子供の芸能活動を禁じるのは不適切だと思う。しかし、子供の同意なしに許すべきでもないだろう。だから、許容の範囲に入る。子供の同意があれば、まさに子供の積極的な欲望があれば、潔く許すが、子供の同意はないと認めない。(子供の場合、契約に制限を課すべきだろう。子供の同意がなくなると、契約で科料等を徴収することを禁じるべきなのではないか。制作会社が反発すると思われるが、子供を守った方が重要だ。)
この四つの範疇の内容を決めるのは容易ではないし、立法の責任であると思う。義務教育が推薦する範疇に入って、手足の切断が禁じる範疇に入ることは明白だが、他の具体的な内容は難しい。ここで決められないので、これからの議論に委ねたいと思う。