民主主義の目的は何だろう。国民の叡智を結集して、国家が直面する問題を解決することなのだろうか。
違う。多くの人は問題の実態さえわからないので、有効な解決策を提供する能力はない。それに、民主主義で自分の理解を提供する方法さえない。投票する時点で政治家を選ぶことしかできない。国民の叡智と全く関係ないと私は思う。
民主主義の役割は、内乱なしに政権を更迭させることだ。簡単に言えば、国民の過半数が政権に反対するようになったら、政権交代になる。継承する政権が改善になるとは限らないが、暴力や混乱を通らずに交代は実現できる。これは民主主義の大きな利点で、歴史的な根本的な政治問題の解決である。政権交代が混乱を伴ったので、多くの社会構成が交代を禁じようとしたが、戦国時代等を見たら有効な方法ではなかったことがわかる。しかし、民主主義のもとで何回も政権交代を実現したことがある。
それで、有権者の負担が軽減される。政治や政策を理解する責任は一切ない。単純に現政権を擁立できるかどうかを判断できれば十分だ。特に深い理由がなくても良い。多くの有権者が同意しない限り、政権交代にならないので、勝手な勘で決めても構わない。これは、長時間労働の低所得者でもできるので、参政権を広く国民に認める理由にもなる。国家の状態を把握する能力等があるかどうかは関係ない。女性は冷静に判断できないと軽蔑され、参政させられなかったが、民主主義の本当の役割がわかったら、冷静に判断できなくても参政権を持つべきであるのも分かる。
だから、同じように参政権を子供に与えるべきだと思う。物理的に鉛筆を持って投票することはできない子供に参政権を与えなくても良いが、7歳以上の子供はそれができるので、有権者は7歳以上の国民であるべきだと思う。もちろん、被選挙権は子供に与えない。当選した政治家には国民や自治体のために判断する責務が課されるので、能力があるのは望ましい。少なくとも大人になった人が良いだろう。
実は、年齢制限を設けなくても良い。一人で投票できれば、投票させてもいいだろう。文字はまだできない子供はダメな一票を出すかもしれないが、数えなくても良い。
同じように、子供が「不適切」な候補に一票を出しても、多くの大人が同じ意見を持たない限り、当選に至らない。子供は過半数ではない。(子供は過半数を占める国も存在するが、日本はそうではない。)それに、子供といえば、小学生だけではない。中学生や高校生も含まれている。この年齢になった子供は、政治の動きを十分把握できる。そして、70年先の未来を当然考える。まだ生きていると推測するからだ。だから、子供が将来を考えない政治家に一票を与えないだろうが、これは望ましい。
子供の参政権に反論する根拠は見つけにくいのだ。低所得者や女性を排除するために利用された論理しか見当たらない。だから、与えるべきだと思う。
(ところで、非選挙権を与えてもいいかもしれない。当選しないだろう。)
7歳の子供は政治を理解することは不可能なのでちょっと風変わりだと思いますが、このあいだ維新の会の提唱した、子供を持つ人に票数を増やす案を思い出しました。異次元の少子化対策とは、そういう思いきった発想をすることでもあると思います。
その案を聞いたことはありませんが、やはり法定代理人の延長線上の概念ですね。しかし、政治の理解を参政権の条件として求められていませんので、そうすれば子ども本人に駆使していただきたいと思います。