日本で、問題を話し合ってから取り組む習慣があると言える。記紀神話でも、神様が何かを勝手に決めることは少なく、神同士で話し合ってから決めることは多い。近代の政治にも、五箇条のご誓文には話し合いの重要性は謳えられているし、明治憲法にも現行憲法にも国会が重要な役割を占める。現代なら、何回も打ち合わせしてから、根回ししてから、話し尽くしてから決める傾向は強いのではないか。このために迅速に対応できないと批判される場合さえあるが、話し合いの重要性は否めない。
小規模な団体で、話し合いを重視すれば、皆の意見を聞いて、決断に反映させることはできる。できれば、妥協し合って、全会一致の決断に至ることも良かろう。規模が大きくなればなるほど、このように皆を参加させることが難しくなるから代表者の導入が必要となる。代表者は代表する人との対話を続けて、その意見を提供する。つまり、話し合いは意志の尊厳に根付くことは間違いない。話の相手の意志を尊重するために、相手の発言を受け入れて、決断に反映させようとする。
一方、話し合いの実現に問題があることは少なくない。例えば、或る人は奥ゆかしすぎて、何も言わずに終わらせてしまえば、少なくともその人のために話し合いがちゃんと機能しない。逆に、ある人が話しすぎて、他の人に話す機会を与えないことも問題である。そして、「上の人」に配慮しすぎて、何も言えないと感じることもあると言われている。
この問題は、話し合いの実践の問題に過ぎないので、少なくとも建前として払拭した方がいいと誰でも言うだろう。しかし、話し合いの本質と関わる問題もある。それは、全会一致を重視しすぎる問題である。
話し合いの目的は、対立を残して多数決で結論を無理矢理出すことではなく、皆の賛同を得て決めることである。もちろん、皆が自分の理想的な状況を得られるはずはないが、妥協し合って、誰も認める案に辿り着くのは理想の目的である。実際にこれができる場合も少なくない。特に小規模な団体で、共有する目的や理念がある場合、相違点は比較的に軽いので、妥協し合って進むことはそれほど難しくない。
しかし、それと大きく違う場合もある。国会は顕著な例であろう。国会は、全国規模であるし、価値観は多様であるので、どんな法案でもなかなか賛同できない議員が存在するのは当たり前である。全会一致の可決は珍しいが、その状況は適切である。国会で、全会一致での可決を期待することはほとんどないので、問題にはならないが、他の場合は如何だろう。
家族のレベルでも問題が発生する場合はある。一人の意志はとても強くて、他の人は対立を避けたい性格であれば、その一人の意見が制覇してしまうのではないか。同じように、会社では反対意見を出す人を「和」を損なっていることで批判することも少なくないようである。この問題があるから、実際の合意に至らない。話し合いを上手く利用するために、皆の意見を引き出したり、巧みに妥協を探ったりしなければならない。そうするために工夫は必要である。テーブルを囲んで意見を挙げる状態でどうしても本音は言えない人は少なくない。
話し合いの目的は対立を避けることだし、皆が賛同する結論に辿り着くことであることには変わりはないが、具体策としてその工夫は必要である。
目下の時局を俯瞰すると、御國はTPP11が議会を通過し、全参加国も今年度中に発行する可能性が高い。
日欧EPAも大筋合意、そしてNATOに外部國として参加、北朝鮮も相変わらず段階的に非核化する兆しは無し。
米もそれに呼応し経済制裁を延長、我國も法整備が完了し状況次第で資産凍結ができる。
中国は関税制裁の報復の応酬。ユーロの頭領国である独を揺さぶるためか、在独米軍撤退の意向を表明。
経済的にも軍事的にも有利に立ってる。