「正」と「直」の関係は深い。「正直」でその事実が明白になる。それでも、理念として区別したいと思う。
「正」は、事実を知る理念として掲げたいと思う。その上、事実を正しく把握するために努力することも含まれている。
「正」のために、勉強することは重要である。物事の事実を把握するために勉強したり研究したりすることは基本だろう。行動する前に調べることも「正」の一部であろう。
事実を正しく理解しない限り、行動が好ましく実る可能性は極めて低い。英国の欧州連合離脱の過程を外から見れば、これを痛感する。離脱の影響をよくわからない人は多いし、交渉の状態を正しく把握していない英国の政治家は大半であるようだ。この事実は、最後の危機に至った時点でようやく明らかになった。だから、行動する前に正しい理解は必要である。
つまり、狭い意味で、行動する前にその行動の要素や背景を把握するように努めるべきである。
しかし、それだけではない。広い知識を持っていなければ、問題が急激に現れることは多い。その問題の苗代の知識はなかったので、成長の過程を見逃すのは当然である。このような問題を避けるために、知識の範囲を広げようとすべきでもある。
そして、知識が豊富になればなるほど、自分の知識の中の誤りに気づく確率も高まる。矛盾に気づくからである。その矛盾をさらに調べて、事実に辿り着くことは少なくない。しかし、知識の範囲が狭いままであれば、気づきもしない。
「正」も理念である。全ての事実を知る由もない。宇宙は広すぎるし、人間の人生は短すぎる。限定的な存在として、人間は完成された知識を得られない。だから、完成された知識に近づくように努めるべきである。そうすれば、未知の範囲が広がるように見えるだろうが、実はそうではない。知らないことさえ知らなかった分野の存在に目覚めて、急に知らないことが増えると感じる。しかし、前にも知らなかったことは言うまでもない。
この理念は本人の内向けの理念である。他人に得た知識を発信することは「正」の理念の一部ではない。同じように、その得た知識を利用することも、この理念と直接的な関係を持っていない。それは、知識はただ利用するために蓄積することではないからである。惟神の道では、知識を蓄えること自体を評価する。他の理念でその知識の利用を促すし、他の理念の実現のために知識を探すこともあろう。それでも、新しい知識を獲得する機会があれば、簡単に見逃してはいけないとこの理念が戒める。用途は明らかではなくても、自分の人生と無関係に見えるとしても、機会を生かすのは良いことである。
「正」で得た知識が前記の「直」の実現に必要不可欠である。自分の動機や目的を正しく把握しないと、正直に表明できるわけはない。そして、後記の「明」とも深い関係を持っている。