占いしようとすれば、方法は必要である。そして、その方法を神道の歴史から選ぶべきであろう。それは今回の祭祀の仮説の本質であるので、逆らう筈はない。
しかし、もう一つの重要な要素がある。占いの目的は、神の意思を探ることである。だから、人間の意思が邪魔する方法を避けた方が良い。
例えば、神憑りの託宣の場合、神懸かりとなる人の意思が混ざる恐れがある。わざと偽った託宣を言うことを考えなくても、無意識で自分の意思を表す可能性は十分ある。そして、どうやって神懸かりになれるか分からない場合、占いの開始さえが難しくなる。神懸かりが神道の祭祀から明治時代にほぼ払拭されたので、やり方を継承してきた人はもう少ないので、学ぶ機会も少ない。それでも、一番の問題は人間の意思の排除ができないことであろう。
亀卜も同じ問題がある。亀甲で現れる亀裂の解釈は、人間が行うので、人間の意思が混ざる。鹿の肩骨の方法も同じである。伝統があるが、適切ではない。
天照大神のように剣を噛み砕けて、子供を吹き出す方法は、人間にはできない。
伝統のある方法がまだ残っている。それはくじ引きである。籤にはっきりした結果を記載して、選択には人間の意思が働かないように工夫すれば、人間の意思を排除できる。はっきりした結果を記載すれば、占ってからの解釈が不要となる。そして、選択を本当に無作為とすれば、人間の意思がここにも関与できない。
物理的な方法として、神社で御神籤の選択のための見たことがある方法は良かろう。小さな穴が空いている筒に串を入れる。串ごとに番号が振っている。筒を振って、一つの串を出す。そして、串の番号に該当する結果を神の意思とする。
これで、利点は複数ある。籤引きする前に番号に該当する結果を決めるので、串の数までの選択肢を設けることはできる。そして、同じ選択肢を数回使おうとしたら、該当する番号を変えて、串に物理的な不均等がある問題に対応できる。例えば、一本は他の串よりわずかに細いとしたら、その串の出る確率が高くなるだろう。いつも同じ結果に該当すれば、神の意思と無関係な結果が出る恐れがある。この上、同じ籤を複数の課題について使うことができる。
籤引きに意味があるために、出る結果に絶対に従わなければならない。だから、記載する選択肢を実現できることに限るべきである。神饌の選択であれば、入手できないものを記載しないとか、奉納できない神楽を候補としないなどの単純な対策であるが、重要である。その上、何が選択されても神事として認められることになる前提も重要である。勿論、私たちが認めたくない形の祭祀を神が実際に好む可能性がある。後日、占いに基づいた進化について論じるので、その場でこの問題に戻る。
その前に、占いはただ今日の祭祀を決める為ではない。神の意思を把握する方法として使われている。では、どうやって神の意思が表現されているかを評価するのだろう。
紫微斗数占いに興じているのだけれど、丑の刻ならば命宮には七殺・廉貞・天姚・羊刃が座し隣宮には禄存とやや力量が弱い(八~七割程の力量)化禄が座している。
何故かと云うと父母宮には甲級主星が座していないので、対宮である疾厄宮から転移すると考える。
そうすると、命宮には禄存並び化禄が相挟しているので、この象意は富貴を表す。
因みに羊刃は廟なので美人で落ち着きがあるのに対し、七殺廉貞は剛毅果断と読み取れる。
天姚は落陥しているが、少なくとも旺まで吉星化する。
この象意は機謀があって文采風流だが、凶星と同宮しているので淫乱であるが、恐らく慎ましいかも知れない。また、福徳宮は身宮(後天的運勢)でこの宮には天鉞・文昌が座している。
この二星が座していると、幸運に恵まれ大きな成功を掴むことができる。
また化科化権が相挟しているので貴人であるし、化吉星及び天鉞が同宮しているので富貴である。
官禄宮には武曲・破軍・天魁・鳳閣・鈴星が座し、天空と地劫星が相挟し天魁星によりこの二星は廟となる。象意は宗教や哲学を表し、その方面の職に適していると読み取れる。
但し、本職に出会うのがやや遅れる可能性あり。
天魁天鉞は聡明秀麗学問を表し、学業は問題ない。
対宮には兄弟星である文曲星が加会しているので幸運で多大なる成功を掴むことができる。
遷移宮には太陽太陰天府星が同宮し、第一印象や渉外や移動運は問題なく、母性溢れる人柄である。
流年では51歳まで問題ない。田宅宮の期間中は目上の引き立てや援助が多大である。
家庭環境が良くなければ、どんなに運が良くても却って成人後に問題を抱えるので、その辺に気を付けてくれれば。