法律と義務教育

法律の内容を知らなくても、従う義務がある。刑法は一番明らかな例だ。万引きは違法であることが分からなくても、万引きすれば起訴されることは多いだろう。殺人は尚更だ。しかし、民法や行政法も同じだ。正しく届けないと、過料が課されることがあるが、届ける必要がわからなかったことが法律に認められている言い訳にはならない。

確かに、詳細での誤りを見逃してもらうこともあるが、それは法律で定まった措置ではない。それは行政の裁量に委ねられるようだ。

しかし、法律の全てを把握すれば、弁護士になったり、税理士になったりする。一般の人が分かるはずはない。現実と明らかに反する前提を持つ法律を認めるべきか、疑問を持っている。官報での公表を十分な広報としてもいいのだろうか。

実は、行政法ではこの問題を認める要素がある。行政手続きの場合、公務員に手伝う義務がある。ただ用紙を渡して、「記入しなさい」というのは認められていない。記入の仕方を指導する必要もある。それは、一般の人には、この記入方がわからないことは多いからだ。但し、この義務は、書類を提出することにした人を対象とする。提出する必要性さえわからない人が漏れる。

だから、法律に原則を導入すべきだと思う。それは、義務教育で教えていない法律は、国民が知らないことを前提とすることだ。人がその法律に従わなくても、罰則等は課されない。そして、届出が必要とする申請等の場合、対象になるべき人が漏れ落ちたら、それは行政側の責任になる。

特別な職種に限定された法令は、その職種の資格試験の一部として教えても良い。資格試験はない職種であれば、義務教育にはなければ、法律の知識を前提とできない。その上、資格が必要な職種は、義務教育の中でその規則を教えなければならない。

これで、義務教育の内容が法令ばかりになるのではないかと思われるだろう。現状であれば、その恐れがある。しかし、それにしてはいけないので、この原則の導入とともに法律の改善が期待される。

一つは、法律の簡素化である。一般の国民がすぐに分かるように法律の修正に工夫する。これは明らかに望ましい。読めば明白だろう。一般の国民には国法が分からない状態は望ましくないので、わかり得ない状態は避けるべきなのではないか。

もう一つは、簡素化できない法律のために案内役を公務員として設けることだ。対応を必要とする人が現れたら、公務員がその手続きや内容を丁寧に説明する。行政手続きと同じだ。

もちろん、義務教育が15歳で終わる。高校まで延長しても、18歳で終わる。その後、法律が変わるに違いない。百歳時代であれば、82年間の人生の中で何回も法律の変更があるに違いない。その変更をどう教えたら良いのだろう。官報に載せることは当然足りない。広報やチラシを使って、積極的に国民に教えることが必要となる。

この作業が負担となるので、変更をわかり易くして、最低限に抑える動機にもなるので、それも利点だと思う。

この方針は、国家の責任を重視することだと言える。できれば、憲法改正の項目として掲げてもらいたいのだ。

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