子供の意思を軽視する傾向があると思うが、実は子供には立場があり、行動に同意する能力もある。保護者の経験を持つ人が顧みれば、それは明白である。子供が成長すればするほど、その意思の尊厳が増す。しかし、子供には賢明に判断できない場合も多い。子供を自分から守るのは保護者と社会の役割の一つである。 では、具体的にどうすれば良いだろう。案として、保護者の行動を四つの範疇に分けたら良いと思う。 まずは、行政が推薦する行動だ。このような行動は、保護者教育の一部として教えるし、行政の施設で支援する。子供が同意しなくても、強制的に参加させることは多い。そして、強制的に参加させることは原則として問題ではない立場を取る。推薦している理由は、子供の将来のためにいい影響を与えるためだから、子供がやらされても長期的な問題になるはずはない。(特別な事情で例外があるはずだが、少数だろう。)...
関与の形
保護者と子供の関係に関与すれば、どのように関与すれば良いのだろうか。 理想は保護者と一緒に努めて、子育てを改善して問題を解決することだろう。保護者と子供の関係を切断せずに、子供に長期的な問題が発生しないように工夫する。そして、保護者と子供を離れさせる必要があれば、できるだけ一時的にして、関係を保ちながら保護者に教育を提供し、子供に養育を与える。保護者には子育ての能力は全く無ければ、子供の養育を行政が担うが、元保護者との関係を保つように工夫した方が良いだろう。最悪の場合、関係を完全に切って、元保護者に対して刑事責任を問うことも考えられるが、そのような態度は極端なケースに限るべきだろう。子供を保護するのは重要だが、保護者との関係も子供にとって重要であるのではないか。...
利益相反
子育てで、保護者と子供は違う人であることは忘れてはならない。そのため、保護者の利益と子供の利益が違う。価値観で論じたが、「子供の利益を最優先すべき」とは一概に言えない。価値観で、子供の利益より優先すべき利益が存在することは少なくないし、そのような価値観(宗教の大半が含まれている)を許すべきだ。それでも、利益相反について考えて、制限すべきだろう。 子供と保護者の利益相反が特に問題になる理由は、利益相反の一般的な問題である。自分の利益が関係するので、どうすべきであるかと考えれば、自分の利益に影響されて、不適切に判断する恐れがある。悪意がある場合も考えられるが、本当に利益を適切に考慮したい場合もある。その場合でも、無意識に自分の利益を優先することは多い。 だから、利益相反が発生する場合、子供の利益を法律で守ることは良かろう。...
価値観
価値観を子供に教えるのは子育ての重要な一部である。明言して教える必要はない。「親の背中を見て子は育つ。」つまり、保護者の価値観や行動を見て、子供が価値観を習うことは多い。価値観を教えずに済むことはないだろう。生きるために価値観は必要だから、子供は環境から吸収する。 多様性を尊重する社会の基本の基本は、価値観の多様性を尊重することだ。だから、国家レベルで許される価値観を指定して、その中から選ばせるわけにはいかない。大人なら、価値観を自由に選ばせるしかない。価値観の一部は、子供にその価値観を継承してもらうことだ。(例外はもちろんあるが、子供に与える価値観に触れない価値観は少ないだろう。)...
精神的な被害
体罰で肉体的な被害を与えることがあるが、それは唯一の被害の種類ではない。精神的な被害もあるし、精神的な被害の方が深刻であるとも言えるだろう。なぜなら、精神的な「打撃」が後遺症を引き起こす傾向は強いからだ。 しかし、精神的な被害の定義は非常に難しいようだ。例えば、自分の意欲を捨てて、他人の希望を叶えるために勤める精神は、尊ぶべき精神だろうか、被害の証拠だろうか。それは、人の理想によって違うので、多様性を尊重する社会で、どちらも認めなければならない。 恐怖症や鬱病を引き起こすことは精神的な被害であるとは言えるだろうが、軽微な恐怖症は精神病ではなく、ただ何かを怖がる現象だし、うつ病が軽微になったら、それはやる気があまりない状態になる。「蜘蛛が苦手」という人は精神的な被害を受けたのだろう。...
体罰
養育である程度の被害を許すなら、体罰はどうなるのだろう。体罰を禁じる風潮があるが、私も賛同する。しかし、普通の体罰は、大人になっても後遺症を残すほどではない。そう考えれば、禁じるべきではないのではないかと思われる。多様性を尊重すれば、自分は到底容認できない行為も許さなければならない。 一般的に体罰を批判する根拠は二つあるようだ。一つは、大きな被害とつながる恐れがあること。もう一つは、効果はない事実。...
養育
子供を養わなければ、育たない。餓死等の放置は当然禁じたり防いだりすべきであるが、それに至らない養育であれば、どれほど干与すべきだろう。 例えば、幼い頃の栄養不足の悪影響が一生続く。身長も低くなるし、脳の活動も鈍くなる。一方、運動不足や肥満で、若いうちに糖尿病になる恐れもある。それほどではなくても、偏った栄養で体へ悪影響を与えることがある。 別な方向から見れば、子供に麻薬を使わせたら、人生に悪影響を与えるのは明白だから、養育に悪い要素を入れることにも警戒すべきだろう。 一方、肉を食わない人もいるし、宗教上食材を限る人もいる。そのような人に、子供を育てる余裕をなるべく確保したい。だから、食材等を指定してはいけないだろう。同じように、食べる量や体重には人間の間に差があるので、厳しく制限できない。...
公の教育
子供の将来の選択の自由を確保するために、公の教育は必要だと思う。これは、保護者に習わせないことを許さない内容だ。一方、保護者に自分の理想にそって教育する余裕を残さなければならない。つまり、公の教育を最低限に抑えるべきだ。公立学校の教科と違う。もちろん、公立学校に通えば、公の教育も受けるが、他の内容も学ぶ。ここで、その必要不可欠の部分を考えたい。 この公の教育は絶対義務になる。保護者の宗教等によって免じないのはその意義である。要するに、保護者の宗教で特別な教育が指定されても、公の教育を加える。そして、その公の教育は、資格を持っている先生によって、国家が認可する施設で提供する。つまり、本当に与えていることを確認する。その結果、子供を一般社会から隔離して育てることは許されない。...
保護者教育
この投稿で、主に行政の子育て関与の範囲を論じるが、その前に重要な問題を認めなければならない。 子育てが問題になる原因は二つある。一つは、保護者が子供に被害を与える理念を持って、その理念にそって育てること。この問題は主な課題になる。もう一つは、保護者が子供の利益を目指すが、子育てに失敗して被害を与えること。統計的な証拠を持っていないが、後者の方が普通なのではないかと私は思う。だから、子供を守るために、国家が後者にも対応すべきだ。 基本的な対応策は子育て教育。人間が自然に子どもの育て方を理解すると思われるが、そうではない。子供は保護者と違う人間だから、うまく対応するために技能は必要だ。この教育は学校教育の一部とすべきだ。まずは、高校を卒業する前に親になってしまう人もいるので、その前に教育を提供しなければならない。そして、人が大人になったら、もう強制的に教育を受けさせることはできない。...
基本方針
多様性を尊重するつもりの国家であれば、原則として保護者の子育て方針を許すべきだ。実は、多くの場合、その方針で大きな問題が発生しない。なぜなら、保護者が子を愛することは一般的であるからだ。それでも、完全に放置してはいけない。愛情を感じない保護者も存在するし、子供を育てる方針を大きく間違える保護者も存在する。国家の政策として子供を犠牲としてはいけない。...
最近のコメント