カテゴリー惟神の道

郷土の結び

地縁は神道で重んじられている。氏神様というのは、現在の言葉で、ある地区を鎮護する神社を表す。その地区に住む人は皆氏子になる。神社界では、「氏子意識が希薄化していく」ことを憂う声は頻繁に聞こえる。これで、勿論神社との関係を考えているが、それだけではない。その地区の共同体意識も示唆している。これも重要な結びである。 郷土の結びと名付けるが、住む地区の人との結びである。生まれた地域から引っ越したら、現住居の地区を表す。この結びは、一方的でも構わない。同じ地区に住む人が皆相手になるので、それに応えてくれない人も少なくないのではないか。寧ろ、都会に住む場合、顔さえ知らない相手が存在するに違いない。...

職業の結び

職場でも結びがある。しかし、同僚は皆「友人」であるとは限らない。これも周知の通りなのではないか。もちろん、「同僚である」ことは、友人の結びの根拠になることもあるが、そうならなくても、同僚との結びがあるべきであると私は言いたいのである。 この結びの質は何だろう。一緒に働く人の特徴は、一緒にある計画を実現することである。職業の結びは、その共有する目的に基づく結びであると思う。相手は、目的に貢献できる限り結ぶことである。...

友人の結び

友人の結びの範囲は広いだろう。実は、分析して、複数の結びとして扱うべきなのではないかと思うほどである。それでも、特徴があると思うので、この投稿で論じたいと思う。 友人の結びはまず個人的である。ある特定の人との間の結びだ。その上、双方が結ばないといけない結びである。片思いの友人は有り得ない。(気持ちは有り得るが「友人」とは到底言えない。) そして、結びの根拠を指摘できる結びである。例えば、「一緒に飲み会に行けばとても楽しい」とか「いつも助け合い人である」とか「一緒に重要な経験をした」とか「共通の趣味を一緒にするのは楽しい」など多種多様。...

恋愛の結び

「縁結び」を祈る人の大半は、恋愛結びを願っているのだろう。人間にとって重要な結びであるし、行動を狂わせるほどの力も持っている。そのためだと思うが、歴史的にこの結びを蔑視したことは多い。しかし、私はそうすべきではないと思っている。恋愛の結びも重要な結びの一つで、高い価値のあることである。ただ、非常に強く感じることは多いので、充分注意しながら扱うべきだろう。 「恋愛」を言葉で定義するのは難しいが、読者のほとんどは体験から分かると思う。普段、色欲と深い関係を持つが、そればかりではない。恋に落ちたら(罠のように)相手との性的な関係を望むのは一般的だが、それ以上一緒に会話したり、一緒に経験したり、一緒に何もせずに時間を過ごしたりしたくなる。...

家庭の結び

一番大事な結びと言えば、家庭の結びなのではないかと思う。他の結びを同等やちょっと上だと論じられたら、すぐに退けられないかもしれないが、上の方の結びの一つであるのは疑えない。その上、社会の構造を考えれば、個人が基礎で、そして家庭、そして他の組織があるというべきなのではないだろうか。この結びをはっきりしないと、多くの問題が発生する。 家庭祭祀を論じた投稿で家庭を暫定的に定義したが、ここでまた定義を提唱する。家庭というのは、一緒に生活をする人で、一人一人で家庭の責任を全て力が許す限り担う。 ここで「家族」より「家庭」を使用する理由がある。「庭」は場所を表すが「族」は血縁を表すからである。(民族や氏族を考えよう。暴走族や農業族は比喩的な使い方だと思う。)家庭では、一緒に生活をすることはとても重要なのである。それは、家庭の結びの質から発する条件だ。...

結びの位置

神道で、結びは重要な概念である。神道の祭祀は元々個人のものではなく、団体のものであったと言われる。氏族の祭りは古かったし、村落が近所の自然を拝む祭祀も重要だったようである。この団体を形成させるのは、人の間の結びである。そのため、惟神の道で結びは重要であるのは間違いないが、どのような位置を占めるかについて、今回論じたいと思う。 産霊は基本的に個人の様子を表すが、結びは必ず二人以上のことになる。一人での結びはそもそもできないからである。結びを重視すれば、仏教のように出家を称讃することはできない。というより、仏教の基礎理念はこの世との縁を切って、悟りに進むことであると言われるが、結びを重視する惟神の道はその反対である。惟神の道を歩めば、この世と深く絡み合うのは理想である。...

他人の産霊

産霊から展開する活動は主に自分に関わる。つまり、自分で何かを創造したり、自分で成長したりする。しかし、それで産霊を尽くすわけではない。 まず、協働で行う活動がある。創造の場合、このようなケースは多い。身近な例は映画だろう。映画の最後にその映画の作成に関わった人の名前が数分に亘って上映される。このような作品を一人で作り上げることはできないので、産霊を実現するために一緒に働かなければならない。協働的な成長もある。例えば、お互いに囲碁をし合って技を高めることは少なくない。その場合、双方が成長する。 単身で活動するか、協働で活動するかは、個人の自由に任せる。成長と創造の評価に影響しない。創造の内容や成長の質によって適切な方法が変わるし、人の好みにも影響されるが、その相違によって価値が決まるわけではない。...

成長

成長

成長とは、自分の能力を増すことを意味する。出来ないことを内面的に出来るようになったら、それは成長である。「内面的に」というのは、例えば梯子を買ったら、高いところへ登ることができるようになるが、それは成長ではない。一方、壁をよじ登ることができるようになると、成長である。 成長で得た新しい能力を存在として考えれば、成長を創造の一種として捉えることはできなくはない。しかし、成長について考えれば、自分を鍛えるように考えた方が適切なのではないかと私は思うので、創造と成長とを区別して扱う。 成長を具体的に言えば、新生児から大人への成長はもちろん、勉強の全て、訓練の全ても入る。知識を貯めると、少なくとも当分野についての質問に答えられるようになる。多くの場合、理解力が増すし、適切に行動できる範囲も広がる。訓練で技能を身につけるので、その技能で活動範囲が広がる。...

創造

創造

一般で抽象的に言えば、創造はこの世に新しい存在を出すことである。 広い意味で捉えたいのだ。彫刻を作るのは創造であるのはいうまでもないが、物体にならない詩を詠むことも創造である。歌の作曲だけではなく、歌を演奏することも創造の範疇に入っている。新しいパソコンの設計を定めることは創造であるし、その設計図の通りパソコンを組み立てることも創造である。レシピに従ってケーキを作ることも、創造。家庭を設けることも、パーティーを開くことも、創造。子供を産むことも。考えれば、創造の範囲は非常に広い。...

産霊の概念

私の惟神の道の中心を成すのは産霊{むすび}である。産霊(ムスヒとも読まれる)とは、漢字から分かるように、産む霊である。つまり、創造と成長の力を指す。中心とする理由は二つある。一つは哲学的で、もう一つは神道学的である。...

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