では、神宮の古から連綿に続いてきた伝統が国民の特別崇拝の根拠になるのだろう。 伝統が存在することは事実である。さらに、日本の歴史と文化に深く根付いていることも明白である。神宮の伝統は素晴らしいし、大事にすべきである。 しかし、それだけで足りない。素晴らしい伝統を持つ神社は他にもある。遷宮の伝統といえば、春日大社も1200年以上の歴史を持つ遷宮の伝統を守っているし、春日大社で途絶えた期間もないそうだ。出雲大社も古から存在してきたし、独特の祭祀等を維持してきたし、天照大神との関係も深い。(出雲大社の神職の出雲国造家は天照大神の子孫であると神話が述べる。)大神神社は神宮より長い歴史を持つし(神話を信じれば)、重要な原始祭祀の様子を保つ。宗像大社も「海の正倉院」を持つし、歴史が始まる前からの伝統を持つ。諏訪大社も鹿島神宮も香取神宮も太古から伝統を守っている。神宮を特筆する根拠は明白ではない。...
神宮と天照大神
神宮は実に125の社からなる。その中で天照大神を奉祀するのは僅か数箇所に留まる。それでも、神宮が皇大神宮の御正殿のために存在すると言えるし、それは天照大神の和魂を奉祀する宮である。だから、神宮の崇拝が天照大神の崇拝と一致することは言える。 では、それが一般的に特別な崇拝を捧げる理由になるだろう。 天照大神は最高の神である主張は『古語拾遺』に見えるので、少なくとも9世紀初頭からある概念である。『古語拾遺』の主張で、天照大神が他の神を支配するかのように表現されているが、その後の表現が変わってきた。天照大神は一番貴い神であるが、支配する存在ではないと主張することは多くなってきた。...
神宮と皇室
神宮と皇室の間に深い関係があることは否めない。皇大神宮の御神体は八咫の鏡であるし、建立も天皇と関わった可能性は高いし、少なくとも天武天皇の時代から皇室と密接な関係を連綿と持ってきた。その為、皇室が神宮に対して格別な崇敬を表すのは当然であるし、適切であるのは自明である。 問題は、この歴史が他の人の特別な崇敬の理由になるか。それは明白ではない。...
神宮の地位
神社本庁が伊勢の神宮を「本宗」として奉斎するという。この「本宗」の意味は曖昧で、結局、神宮の特別な敬称であり、特定な意味はないと言えるかもしれない。ただ、神宮を尊重することは神道界で当然だが、他の神社を尊重することも当然だ。神宮の特別な地位は一体何だろう。 はっきりされたのは、天照大神が全ての神社で崇敬されている意味ではないことだ。そして、他の神様は天照大神の一部ではないし、天照大神への道標のような存在ではない。独立する神である。同じように、神宮が他の神社の祭祀の形を決めるわけではない。神宮の祭祀を模範とする場合はあるが、それは神社の自由である。神宮の権利等ではない。...
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