神宮と皇室

神宮と皇室の間に深い関係があることは否めない。皇大神宮の御神体は八咫の鏡であるし、建立も天皇と関わった可能性は高いし、少なくとも天武天皇の時代から皇室と密接な関係を連綿と持ってきた。その為、皇室が神宮に対して格別な崇敬を表すのは当然であるし、適切であるのは自明である。

問題は、この歴史が他の人の特別な崇敬の理由になるか。それは明白ではない。

古代には、神宮は私幣禁断だった。つまり、天皇以外の者は神宮に幣帛を奉ることは厳しく禁じられた。拝むことも制限されたようだ。神宮のお札を家で奉斎した罪で問われた人さえあったと読んだことがある。この制度はもう廃止されたのはいうまでもないが、制度の理由は神宮と皇室の密接な関係だった。というより、私幣禁断が皇太子や皇后の奉幣も禁じたので、皇室との関係ではなく、天皇との関係が強調された。要するに、天皇と密接な関係があるからといって、必ずしも自然に一般の人も特別に崇敬すべきではない。さらに理由を探らなければならない。

天皇の地位がその理由になるだろう。

現在、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であ」る。(日本国憲法第1条)上皇陛下のお言葉でこれが繰り返し強調されてきたので、現状として否むのは苦しい。

しかし、天皇は象徴であることが神宮の崇敬する理由にはならない。神宮は日本の象徴ではない。もちろん、天皇を尊重すれば、天皇の神宮崇拝も尊重するのは当然だが、上皇陛下のハゼの研究も尊重するが、それはハゼを研究する理由にはならない。少なくとも、一般的な理由には足りない。つまり、天皇を象徴として尊重することは当然であろうが、それで天皇の行動を真似することは相応しいとは言い切れない。寧ろ、尊敬を表するために真似しない方が良い行動も多いのではないか。

実は、天皇は現人神であると信じても、天皇を崇拝する理由になるだろうが、神宮を崇拝する理由に直接にならない。私幣禁断の制度が表現するように、天皇を崇拝するからといって、天皇が崇拝する存在を崇拝すべきであるとは限らない。

勿論、私幣禁断の制度はもう廃止されたので、天皇との関係は神宮を崇拝しない理由にはなっていない。ただ、積極的な崇拝する理由にもならないようである。

考えれば、根拠になり得る関係が思い浮かぶ。天皇はただ天照大神の代理人として国を知ろしめすとしたら、代理人を崇拝すれば、当然本人(即ち天照大神)を崇拝する。しかし、この関係は神道の歴史には主張されたことはないようである。天皇が天照大神の命令にしたがって国を治めるようになったと書いてあるし、天皇が天照大神の道に従って治めると主張する人もいたが、代理人に留まるという人を見たことはない。私が知っている限り、代理人の概念は寧ろ不敬として拒絶されている。

だから、天皇と神宮の関係が崇拝する理由になるのは可能だが、それに足りる関係は神道の歴史には見えない。神宮を崇敬する理由があれば、別な要素に探らなければならない。候補として、天照大神の資格を考えよう。

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