祭祀としての働き

では、このような理想と結びを重視すれば、家庭祭祀は祭祀らしい役割を担えるのだろう。祭祀と言えば、一般的に意識と結びは重要であるので、そのために働けなければ、祭祀を行う意義が疑わしくなる。

まず、家庭祭祀で直接に感じられる結びは、家庭の間の絆である。家庭の絆を結ぶために、一緒に何かをするのは重要であるし、それは自分の家庭のことであるのも重要であろう。この観点から見れば、家庭が揃って祭祀に参加すれば、家庭の絆に直接に貢献すると言える。特に、家庭祭祀にはちょっと独特な側面があれば、自分の家庭のことをより実感できる。「うちで、こうする」という気持ちで、家庭の実感が強くなるのではないか。

他の結びと理想は、家庭祭祀で直接的に努力しないだろう。しかし、全ての重要な目的と絆を毎日強めるように直接に働くことはできない。と同時に、長い間怠る結び等は忘れられる。思わず人生から落としてしまう。祭祀で全ての重要である結びや目的を思い出せば、その穴に落ちない。そして、日常的な努力の意義を再確認する。

その上、感謝を意識することも重要である。自分の人生の中の良いことを意識すれば、やる気が強くなるし、憂鬱の予防にもなるそうだ。(この効果のため、相手に感謝を表さなくても良い。)もちろん、特定な人から発生することへの感謝は、その人に表すべきであるが、そうでもない感謝もある。例えば、ある計画が上手く行っていることに感謝を意識するべきである。このような感謝を明言するために、他の活動から一旦休むしかない。だから、祭祀の中で行っても差し支えない。その上、祭祀に適している。神様の前で感謝を奏上することは、祭りの普通の一部である。

つまり、重要な目的や結びの意識を活性化するために、そして自分の人生の好ましい要素の意識を彷彿させるために、家庭祭祀を活用するのは良い。実践以外やるべきことは、祭祀の中でできる。特に、毎日の家庭祭祀は、このような形であれば、時間の無駄だとは言えない。

こう考えれば、家庭祭祀の輪郭が見えてくる。家庭が揃って斎行するし、その中で他の結びや理想や目的をはっきり口にして、自分に思い出させる。そうすれば、日常生活の中で家庭との絆などを忘れないと思える。

家庭祭祀の具体的な形式について論じる前に、断っておきたいことがある。拘束力があるような理由を挙げているとは思わない。つまり、家庭祭祀を行わない方は、悪いことをしていない。ここで掲げた目的を別な方法で果たしているだろう。日本に住む人に限っても、このような家庭祭祀を斎行しなければならないと言えないのである。ここで描写する家庭祭祀は、神道的な祭祀に魅力を感じる人にとって良いことになると思うし、勧めたいのであるが、魅力を感じない人は、別な道を探しても良い。

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