神棚祭祀の形式

神道的な家庭祭祀の中で、神棚祭祀は特に重要であると言えよう。ここで、読者には神棚祭祀の基本的な形式が分かることを前提に、その詳細を考えたいと思う。

目的と絆を思い出すために、適切な神を奉斎する。例えば、近所の共同体のために、氏神様の神符を奉斎する。学問を目的とすれば、天神のお札が良い。そして、特定の祝詞で斎行する。その祝詞の特徴の一つは、神の名前の前に、司る分野を描写することである。例えば、「学問を司る天神様」と言う。(それは祝詞っぽくないが、文言を後ほど考えるつもりだ。)その内容を口にすれば、髪が司る分野を思い出す。そして、人間なら、なぜこの分野を司る神様を奉斎しているかも、思い出す。絆と目的が目の前になる。

そして、夫々の神様にその分野についての感謝を捧げる。これで、この一日で起こった良いことを思い出す。特に何もなかったら、ただ「今日も平けく安らけく」に止まっても良い。その言い方で、最近何もしていないことに気づくので、大切にしたい目的や絆を長い間忘れることはないだろう。

このようにすれば、祝詞の形がおよそ次の通りになるだろう。「〇〇を司る某神の大前に、〇〇のことの感謝を申し上げます。」家庭が揃って感謝をあげる場合、代表者に続いて自分の感謝を言えば良いが、家庭の一人しか活躍しない分野であれば、その個人が家庭の前で全て言っても良い。家庭の一人が学問を励むからと言って、皆はそうであるとは限らない。

時間と記憶の負担に考慮すれば、奉斎する神様は個人毎に三柱までは問題ないと思う。人によって、それよりちょっと多くても良かろう。しかし、七柱を越えれば、覚えにくいし、人生の目的なども多すぎると言えないだろうか。人生をまとめる為に、ある程度焦点は必要である。

それにすれば、どちらの神様を奉斎すべきであろうのか。

一般に言えるのは、氏神様である。氏神様は、家庭を司る神であるし、近所も司るので、誰でもこのことを考えなければならない。ある意味で、氏神様は日常生活の神であるので、日常生活を考える為に奉斎すべきである。

それ以上、基本の三柱として、活躍分野と理想を象徴する神を奉斎すれば良かろう。例えば、私のように学問や執筆や教育で活躍すれば、天神様が活躍の分野の神として良いだろう。商売を生業とすれば、お稲荷さんが良かろう。理想は、私は創造を重視するので、高神産霊大神と嘉神産霊大神を奉斎すれば良かろう。

そして、家庭や近所、そして活躍以外の団体とのつながりは大事であれば、その団体を象徴する神も奉斎すれば良い。同じように、二つめの理想を象徴することも良い。

また、神社に正式参拝にお参りしたら、お札を頂くのは通常である。この場合、お札を神棚に奉斎すべきなのではないか。ただ捨てるわけにはいかないし、他の奉斎場所はない。その場合、家庭祭祀の祝詞に加えなくても良いと思う。奉斎することで崇敬を表すので、それで十分です。

では、肝心の神宮大麻はどうなるのだろうか。

皇室の方、または元皇族の方の場合、ご奉斎になさるべきであろう。元々の意味の氏神様であるからだ。伊勢市に住む人、所謂旧神領民も同じである。そして、活躍の範疇で、国政と関わる方であれば、奉斎すると良かろう。最後に、皇国の日本を理想とすれば、神宮大麻で象徴すれば相応しい。しかし、民主主権の日本を理想とすれば、神宮大麻が合わないだろう。このように考えれば、神宮大麻の奉斎を必須とする根拠は無いようだ。

ただ国家と皇室のために祈る目標で奉斎することは、祭祀の想定は事実であることを前提とする。ここで掲げた動機は、自分の絆と活躍に関わる神様の家庭祭祀を裏付けるので、日本人であることを特に重視しない場合、神宮大麻が合わないことは多いかもしれない。(私は、日本人になるために結構努力してきたので、その意味で私が奉斎できる。)

つまり、神棚で原則として氏神様、活動の神様、そして理想の神様の三柱を奉斎することは基本としたいのである。

1 コメント

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  • >皇国の日本を理想とすれば、神宮大麻で象徴(奉斎)すれば(するのが)相応しい。しかし、民主主権(民主主義)の日本を理想とすれば、神宮大麻が合わないだろう。このように考えれば、神宮大麻の奉斎を必須とする根拠は無いようだ。

    憲法で今上天皇が國家元首と明記されれば問題ない。

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