産霊の概念

私の惟神の道の中心を成すのは産霊{むすび}である。産霊(ムスヒとも読まれる)とは、漢字から分かるように、産む霊である。つまり、創造と成長の力を指す。中心とする理由は二つある。一つは哲学的で、もう一つは神道学的である。

神道学的な理由は、産霊の概念は古から神道で重要であってきたことである。『古事記』で天地開闢の神話を読めば、最初に出てくるのは所謂造化三神である。この三柱は、天御中主神{あめのみなかぬしのかみ}高神産霊神{たかみむすびのかみ}嘉神産霊神{かみむすびのかみ}である。天御中主神はそれから神話に出てこないが、高神産霊神と嘉神産霊神とは、重要な役割を担う。高神産霊神は、高天原を司る神格を持つし、嘉神産霊神は国津神と深く関わる。『日本書紀』の本文では、最初の神は国常立命{くにとこたちのみこと}になるが、一書では古事記と同じ神が登場する。『古語拾遺』は、古事記の話に近いので、産霊の神から始まることは一般的な見方だったのではないかと思われる。

その上、宮中で祀られた八神殿のご祭神の八柱の中、五柱は産霊の神であった。(神産霊{かみむすび}高御産霊{たかみむすび}生産霊{いくむすび}足産霊{たるむすび}玉留産霊{たまつめむすび})他の産霊の神も登場する。例えば、火産霊神{ほむすびのかみ}若産霊神 {わかむすびのかみ}の名称も見られる。このような証拠から、産霊信仰は神道の発生時期に大変重要だったと推測される。

哲学的な理由は、人生の指標とする概念は、積極的で能動的で肯定的な概念であるべき確信に基づく。積極的とは、人生で動くことを指す。何かを防いだり、避けたりするのではなく、発展や変化を齎すのだ。消極的な行動は、何かが起こらないように動くことを指す。具体的な例として、積極的な行動は真実を教える為に語ることであるのに対して、嘘をつかないように話すのは消極的である。後者は、何も話さずにできるが、前者は違う。

能動的とは、自分で動くことを指す。他人を持たずにやることであるし、自主的に動くことでもある。受動的な態度は、周りの状況に動かされることを待つことである。具体的に、能動的な行為は自分が興味を持つから日本語を勉強することで、受動的な行動は学校に言われたから日本語を勉強することである。

最後に、肯定的とは、目的を評価して動くことを指す。つまり、動きによって産まれる存在を評価するから動くのだ。他方、否定的な目的は、問題視する状態の回避である。動機となる状態への態度の違いである。来客を喜ばせるために店で働くのは肯定的であるが、餓死しないように店で働くのは否定的である。

創造と成長を広い意味で捉えれば、この三つの条件を満たす行動は全て創造や成長になると言えよう。評価する状態を実現するために動くので、成功すれば何かが存在してくる。このような活動は非常に魅力的であるので、惟神の道の道標とする。

産霊だけで惟神の道を講ずることはできないのはいうまでもなかろうが、根本的な指標として位置付けて、他の概念によって補給する。

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