私の惟神の道の中心を成すのは
神道学的な理由は、産霊の概念は古から神道で重要であってきたことである。『古事記』で天地開闢の神話を読めば、最初に出てくるのは所謂造化三神である。この三柱は、
その上、宮中で祀られた八神殿のご祭神の八柱の中、五柱は産霊の神であった。(
哲学的な理由は、人生の指標とする概念は、積極的で能動的で肯定的な概念であるべき確信に基づく。積極的とは、人生で動くことを指す。何かを防いだり、避けたりするのではなく、発展や変化を齎すのだ。消極的な行動は、何かが起こらないように動くことを指す。具体的な例として、積極的な行動は真実を教える為に語ることであるのに対して、嘘をつかないように話すのは消極的である。後者は、何も話さずにできるが、前者は違う。
能動的とは、自分で動くことを指す。他人を持たずにやることであるし、自主的に動くことでもある。受動的な態度は、周りの状況に動かされることを待つことである。具体的に、能動的な行為は自分が興味を持つから日本語を勉強することで、受動的な行動は学校に言われたから日本語を勉強することである。
最後に、肯定的とは、目的を評価して動くことを指す。つまり、動きによって産まれる存在を評価するから動くのだ。他方、否定的な目的は、問題視する状態の回避である。動機となる状態への態度の違いである。来客を喜ばせるために店で働くのは肯定的であるが、餓死しないように店で働くのは否定的である。
創造と成長を広い意味で捉えれば、この三つの条件を満たす行動は全て創造や成長になると言えよう。評価する状態を実現するために動くので、成功すれば何かが存在してくる。このような活動は非常に魅力的であるので、惟神の道の道標とする。
産霊だけで惟神の道を講ずることはできないのはいうまでもなかろうが、根本的な指標として位置付けて、他の概念によって補給する。