緑の通路

緑の通路は、地域規模の環境対策である。地球への影響はもちろんあるが、主な目的は地域の環境の改善である。そして、都会の環境にしか適していない。田舎であれば、必要なのは違う措置だからである。

緑の通路というのは、自然の帯状の地区が都会を横断して、両端に棲む動物が都会を渡ることができ、活動範囲を広げるための設備である。なぜこのようなことが必要になるかというと、動物には移動する必要があるからである。特に肉食動物は、狭い範囲で生息しようとしても、無理がある。動いて、様々なところで獲物を探さなければならない。しかし、都会や道路などが超えられない壁になる。その結果、合計で面積が十分足りる場合でも、狭い部分に割かれているので、一頭も生息できない場合が発生する。

もう一つの側面から問題が発生する。少数の動物が生活できるとしても、遺伝子の多様性には限度がある。そのため、代々動物が弱まって、結局絶滅に瀕する。緑の通路を通って遠くまで行ければ、交流があるので、小さな集団に分けられない。

緑の通路は、自然公園に似ている。一番重要な相違点は繋がることである。緑の通路は必ず二つ以上の自然環境を繋がって、その間に行き来を可能とする。本当に通路である。しかし、人間が使う通路ほど狭いものは機能しない。動物は当然人間を避けようとするので、緑の通路の中で隠れる余裕はなければ、入りもしない。どれほどの幅が必要かというと、場合によって異なるそうだ。専門家と相談しながら計画を立てるべきである。

ここで、動物は都会を迂回して別な地域に行けるのではないかと思われるだろう。日本の都会でも、太平洋の海岸から日本を横断して日本海まで続く都会は存在しないので、迂回路は存在するのは事実である。しかし、その迂回路が違う生態系を通ることは少なくない。特に、日本で野原から野原までもう回路が山を通る。野原の動物はそもそも山を通らないので、事実上の迂回路にはならない。

緑の通路を用意すれば、都会に住む人間にとっても利点がある。緑は綺麗だし、都会の所謂ヒートアイランドも和らげる。公園として入ることもできるだろうが、動物の移動に邪魔にならないように、ある程度制限しなければならない場合もあろう。

ただし、反面もある。まず、都会に土地が必要となる。中心地に近い土地も必要となる。そのような土地の価格は高い場合は多いのである。導入には莫大な費用が必要となる恐れがある。それは自治体として無理だと思う。少なくとも、優先順位がより高い事業は多いはずだ。だから、専門家と相談して、段階的に導入したり、小動物にしか使えない通路を用意したりするのがよかろう(ところで、田舎で高速道路や線路が壁になるが、その場合緑の横断歩道があれば大丈夫です。緑の通路ほど大掛かりな事業ではない。)

緑の通路が機能すれば、鹿や猪のような動物が都会の真ん中を通るようになる。人間と接触するし、問題が発生する恐れもある。長期的に環境問題を解決しようとすれば、人間と他の動物の共存を見出さねばならないが、簡単な問題ではないのは事実である。このことを考えれば、緑の通路を慎重に導入すべきである。そして、導入すれば、発生する問題を見極めて、一つひとつ個別に解決策を作り上げるべきである。難しい側面があるからといって諦めるのではなく、効果のあるやり方を探るのだ。

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